Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

自由に生きていくのは楽じゃない

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(2012年10月撮影。トルコ、クシャダス)

自由に生きていく方法は100通りあると歌ったのは、浜田省吾だった。彼本人も後のインタビューで「実際にそんなに自由に生きてはいけないですよね」と語っている。
俺がサラリーマンになったばかりの頃は、今みたいにネットもなかったし、在宅ワークなんていうのも夢のまた夢だった。朝の満員の通勤電車に乗らずに仕事をする事が出来るというのは、サラリーマン共通の憧れだったかもしれない。
ネットの発達でフリーでやれる仕事も増えたのかもしれないが、俺自身があまりそういった事(フリーとか独立とか)に興味がないのでよく判らない。昔よりも起業するハードルが低くなったせいか、「会社勤めをして、会社の奴隷になるくらいなら、自分で会社起こしてやるぜ」みたいに思う人が増えたように思うのは気のせいか。
今の会社が俺にとっては、4社目となる。多分、次はない。というのも、仮に今の会社を辞めたとしたら、その後はフリーランサーになるしかないからだ。50歳過ぎた、これといって技能のある訳でもないロートルを雇ってくれる会社などない。また仮にあったとしても、社員20名以下の零細企業に限定される。そういった零細企業はどうしても、会社倒産の恐れがあるし、この歳で既存社員達と人間関係を構築していくのは疲れる。だったら、いっそフリーのほうが良いのだ。この場合は積極的にフリーになるのではなく、仕方なくといったところだ。

20代の時勤めていた会社に、紺野君という社員が中途で入ってきた(俺も中途だ)。俺が27歳くらいの時か。彼は俺と同い年。入社時期は違っても、歳が一緒なので仲良くなった。
酒を飲みに行くと、彼は「将来は会社を自分で興したいんだ。人の下で使われるのは性に合わない」とよく言っていた。俺自身が起業に興味がなかったし、紺野君がどこまで本気なのかよく判らないので、その辺りの話は適当に流していた。
数年して、紺野君は会社を辞めて行った。俺が残っていた会社も倒産し、俺を含めたメンバー何人かで会社を再度立ち上げることにした。これは社員皆が、現場の仕事を持っていたので、倒産したから、解散、終了!とはいかなかったからだ。新しく会社を作ったので、俺は立場上、役員となった。この頃、人に名刺を渡すと「役員ですかぁ」と驚かれたが、社員が10人くらいしかいない会社の役員なんて、何の意味もない。時期を同じくして、紺野君も自分の会社を立ち上げた。

紺野君の会社は毎年順調に業績を伸ばしていった。途中から、ソフトウエアの仕事だけでなく、ネットでスマホのアクセサリー等を売る仕事も始めた。そういったものって、一番最初に開拓した企業が強いんじゃないかなあと思ったが、正直人様のやる事だ。あまり興味はなかった。紺野君が、ベンツに乗り出したという話がどこからとも無く話として流れてきた。なんでも、1,500万円くらいするとかいう噂もあった。どれだけ儲かっているのかは知る由もないが、零細企業の社長がそうやって調子に乗ると良い事ないんじゃないかなぁと老婆心ながら思ったが、これぞまさしく他人事だ。人が口を挟むようなことじゃない。
紺野君の会社のホームページは2012年辺りから、更新がストップした。ネット販売している商品も「取扱いがありません」の表示に変わった。全てが止まったのがその時期なので、俺は密かに「ああ、きっと上手く行かなくなったんだろうな」と勝手に推察していた。ありていに言えば、倒産したんだろう、と。零細企業の寿命は10年ないと言う。紺野君の会社が出来たのは2002年だ。やはり10年の寿命だったのかもしれない。

俺達が立ち上げた会社は、結局15年程活動したが、最後はどうにもならなくなって、これまた倒産した。そして、その後俺はフリーランサーを経て、札幌で正社員の職を見つけて今に至る。
この立ち上げた会社で一緒に働いていたのが、岩佐君だ。彼は俺の一つ下。仕事はとても出来た。彼は、とあるクライアントの依頼でシステムの構築を一人でやっていた。その為、ずっと自宅作業が許されていた。自宅でひたすらにソフトウエアの設計/製造をして、納品の時だけクライアントに出向くといった就業スタイルだ。これを20年近くやった。今の時代の「自宅で仕事をする」という形の先駆けみたいなものだ。朝の通勤ラッシュとも無縁の生き方だ。そういったものに憧れる人には羨ましい形態かもしれない。自宅が仕事場だと、オンオフの切り替えが難しいという側面はあると思う。俺はオフの時は完全に仕事を頭から追い払いたいタイプだから、自宅の仕事は向かない。岩佐君も「24時間、仕事のことを考えているような有様だ」とも言っていた。
その後、会社が潰れた後も、岩佐君はこの仕事をやっていたのだが、クライアントの資金繰りが上手くいかなくなって、仕事は途絶えた。岩佐君も俺と同じように会社亡き後はフリーで働いていた。フリーは仕事が途切れるイコール無収入を意味する。だから、岩佐君は知り合いのコネを頼って、全く別件の仕事を見つけて貰った。当然今までのように、自宅作業が出来るものじゃない。毎日通勤電車に乗って、現場まで行かなくてはならない。それが今年の二月。三ヶ月経って、どうやら岩佐君は値を上げたらしい。今まで20年間、自分のペースでやりたいように、一人で仕事をしてきた人間が、20年ぶりに毎日通勤電車に乗って、人と一緒に仕事をやる、という事に耐えられなくなったのだとか。

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たまたま、俺の周りで上手くいかない例を二つばかりあげたが、世の中上手くやっている人だっているだろう。だが、その上手くいっている人達の後ろには、姿の見えない屍が累々と積み重なっているのだ。
俺は起業する勇気も気概もなかった。だから、そういった意味での失敗を起こす心配はない。また、自宅で仕事が出来るだけの能力もなかったから、そういった「20年経って環境が変わる」という状況に追い込まれることもなかった。代わりに東京から札幌に引っ越すという割と大きなイベントに遭遇せざるを得なかったのだが。

会社を潰した紺野君を「ざまあ見ろ」とは思わないし、20年ぶりに人と働く事の難しさに悩んでいる岩佐君に「もっと早くに自宅作業から出れば良かったんだよ」と偉そうに上から目線で言うつもりもない。
ただ、ただ思う。自由に生きていく方法なんて、そんなにはありはしない、と。