Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

意味がなければスイングはない

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風呂に入って、浴槽に浸かっている時は文庫本を読んでいる。内容は様々だが、短編小説が多いかな。というのも、長編とか読んでいると「話の続きが気になるな、もう少し読もう」となってのぼせるからだ。今読んでいるのは、村上春樹の「意味がなければスイングはない」だ。これは小説ではない。村上さんのお気に入りのミュージシャンの紹介/評論エッセイ集みたいなもの。今日も浴槽でこれを読みながら、「そういやなんで俺は村上春樹の本読んでるんだ?」と自問した。
すぐに答えは出た。俺が普段よく見ているBlogを書かれている方(R子さん)が、村上春樹の小説を紹介していたのだ。俺は過去に村上作品を一つも読んだ事がなかったから、R子さんに「村上初心者なんですが、お薦めありますか?」とコメント欄で尋ねた。R子さんが「音楽好きなら、音楽評論集があるから、まずはそこからスタートされたらいかがでしょう」と提案してくれたのだ。

この評論エッセイ集は、俺自身が聴いた事のないミュージシャンに関する話でも面白い。さすが村上春樹だなあと感心した。ちょっと横文字が多いのが癇に障るが。
このエッセイを読む限り、村上春樹の小説も悪くないんじゃないかと思い始めた。なんで俺は過去に一度も村上小説を読んだ事がなかったのだろう。浴槽で少し考えたら、あっさりと答えが出た。

大学時代の事だ。つまりもう30年以上も前の話になる。それにしても年寄は昔話が多いな。当時、俺は演劇部に所属していた。ある日、部室に行くとテーブルの上に文庫本がある。フィッツジェラルド作の「グレート・ギャツビー」だ。きっと部員の誰かの忘れ物か、読み終わったからそのまま放置したかのどちらかだろう。俺もさすがにフィッツジェラルドの名前くらいは知っていたが、作品は読んだ事がなかった。俺はその本を手に取って、その時部室にいた同期のJ子に尋ねた。
「なあ、このグレート・ギャツビーて面白い?」
村上春樹好きな人なら嵌ると思うよ」J子はそう返してきた。そのアドバイスは何の意味も持たなかった。何故なら、俺は村上春樹を読んだ事がなかったからだ。俺は最初の頁から読み始めた。そして5頁目辺りまで行ったところで、その文庫本を部室の隅に投げつけた(というのは冗談で、テーブルに戻した)。
いやあ、見事なまでに詰まらなかった。と書くとフィッツジェラルドのファンの方に怒られるか。俺には合わなかった。内容が全く頭に入ってこない。これだったら、受験の参考書のほうがよっぽどすらすら読める事だろう、そうとすら思った。

小説にしても音楽にしても、上下というものはない。単にその作品と自分が合うか合わないか、だけの話だ。良いも悪いもない。俺には合わなかった。それだけだ。そこで先程のJ子の言葉が甦る。村上春樹が好きなら、フィッツジェラルドも楽しめる。ということはだ。フィッツジェラルドを面白いと思えない人間には、村上春樹の小説も詰まらないんじゃないか、という事になる。
果たして、J子がどれだけフィッツジェラルド村上春樹に詳しかったのか俺は知らない。だが、彼女のその一言で、俺の中から村上春樹という作家は消えた。事実、未だに俺は氏の作品を一つも読んでいない。

これは勿論、俺が勝手にそう解釈しただけだ。小説というのは、コピーじゃないのだから、例え「作風」が似ているからと言って、読者が面白さを同じように感じるとは限らない。音楽とかも一緒だ。ローリング・ストーンズは黒人ブルースに影響を受けている。初期の頃はもろにブルースをカバーしていたし。
だからと言って「マディ・ウォーターズストーンズが影響を受けた黒人ブルースプレイヤー)ってどう?」と訊かれた時に「ローリング・ストーンズ好きなら楽しめるよ」と言われて、それを真に受けたらただの馬鹿だ。マディとストーンズは根源は一緒かもしれないが、表現されるものはだいぶに違う。

結局、人の言説に惑わされてはいかんという事だ。あの時、「フィッツジェラルドは合わなかったが、村上春樹は違うかもしれない。挑戦してみよう」とならなかった俺自身が愚かだったのである。

人の意見を聴くのは大事だ。そしてそれをちゃんと消化して、自分の考えに昇華させる事が肝要だ。それが出来ないのなら人の話なんか聴かないほうが良い。

と書いていたら、非常に不愉快な昔の話(やっぱり昔話か!)を思い出した。昔の恋人(時期はぼかす)に浮気を疑われたのだ。そして彼女はそれを周りの友人/知人達に相談したらしい。すると彼女の周りの「人の不幸は蜜の味」な馬鹿な奴らがよってたかって「お前の彼氏は浮気している」と吹き込んだのだ。彼女は大泣きして「浮気するなんて酷い!」と俺をなじった。俺は無神論者なんで神には誓わないが、俺は浮気はしていなかった。完全な冤罪である。
周りの無責任な馬鹿な野次馬どもにも腹が立ったし、あんな頭の悪い奴らの言う事を信じる恋人にも怒りが湧いた。

怒りの収め様がなかったので、俺は「俺の浮気相手」とされている女性を呼び出して、「俺達浮気した事になってるぞ」と告げた。二人で酒を飲んで「どうせ浮気したと思われてるんなら、既成事実作っても一緒じゃね」となって、あとは書く必要もあるまい。

当時の事を思い出したら、今もまた腹が立ってきた。もうこの文を纏める気力も無くなったので、大事なことを再度書いて終わりにする。

人の意見を聴くのは大事だ。だが、それをきちんと消化して、自分の考えに昇華させる事が出来ないのなら、むしろ聴かないほうがいい。

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※今日の写真は、2012年に行ったバリ島での景色。バリ島、また行きたいな。