Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

死ねばいいのに

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人に向かって平気で「死ねばいいのに」と言える人はそういない。いたら、びっくりする。
が、ネットの世界(ことに匿名が許されている場合)だと平気で「死ね」とか罵詈雑言を吐き出す人が結構な数いて、暗澹たる気持ちになる。

よくいじめの問題とかで「いじめたほうはその事を忘れてしまうけど、いじめられたほうはそれを忘れない」という言葉があるけど、「死ね」もそれと同じだ。言ったほうは、何にも深く考えずに単にムカついたから程度で簡単に「死ね」とか言う。が、言われたほうは、確実に傷つく。

誰の言葉か忘れたけれども、ネット上での発言に関して「その発言をする前に、全く同じ言葉をリアルな友人や家族や恋人に言えるか、それを一度考えてから発して欲しい」と書いている人がいて、だよなあと俺は感心した。

東京にいた頃、ドラムを始めてまだ一年ちょっとくらいの時期だと思う。だから、今から十年くらい前の話だ。とあるバンドに参加した。ジャンル的には女性ヴォーカル物のJ-POP。「お前が、J-POPやるのかよ?」と思われるかもしれない。
そのバンドがドラマーを募集していたのだ。「初心者の集まりなので、中級者以上だと物足りないと思います」という、低姿勢な募集要項だった。「初心者でもOKか、良し」という事で参加したのだった。

そのバンドは募集要項に書いていた通り、かなり活動内容も緩く、練習は月一回。定期的に新曲は増やしていたけれども、上手くいかないとすぐに平気で「この曲やめるか」と言える程度の緩やかさ。

そのバンドのヴォーカルがジュンちゃんだった(勿論女性)。俺より、確か7つくらい年下だったかな。キーボードが上手くて、良い声をしていた。俺は純粋にバンドのヴォーカルとしてのジュンちゃんが大好きだった。ルックスも可愛かったし。ただ正直、異性として見ていた部分はない(これは本当)。
性格も凄くオープンで明るくて、これと言った欠点は見当たらなかった。唯一、俺のドラムに文句をつける事以外は(笑)

リーダーでギターの須田君は、ちょうど俺より10歳下。結構年齢の幅があったんだよな。それでもメンバー皆で仲良くやっていた。ジュンちゃんのほうが須田君よりも年上だが、ジュンちゃんがメンバーで一番最後に参加したからか、彼女は須田君を「さん」付けで呼んでいた。須田君も年上のジュンちゃんを「さん」付けで呼んでいた。

バンドの練習中に曲のアレンジとかで「どうしようか?」となった時、メンバーそれぞれが「こうしようよ」とか「こうしたい」とか言えた。非常にリベラルで良い付き合い方だったと思う。
酷いバンドになると、選曲からアレンジから、一切合財が全てリーダーの一言で決まるというのもある。実際に俺はそういったブルースバンドに一年弱参加していた。
メンバーさえ納得していれば、それでも良いんだけどね。大抵は良い方向にバンドが向かわないのは、想像つくと思う。

リーダーの須田君は10歳年上の俺にも「ここ、ドラムこうやって叩いて貰えますか?」と臆することなくリクエストを出してきた。俺は参加する時に「歳食ってるけど、初心者だよ」と告げていたし、須田君の要求はしごく当然のものだと思っていたから「判った。出来るかは判らんけど、努力はする」と応えていた。
こういった遣り取りが出来たのも、このバンドの良さだったと思う。

須田君は当然、ジュンちゃんにも「ジュンさん、こうやって歌って欲しいんですけど」と要求していた。それも正当性のある要求なので、ジュンちゃんも頷いていた。
二人の関係性は、仲のよい姉弟みたいな感じだった。須田君が歌い方にリクエストをすると(難易度の高い要求)、ジュンちゃんは頷きながら須田君に向かって「死ねばいいのに」と吐き捨てた。

須田君は(勿論それがジョークと判っている)「酷くないですか? 今の発言」と他のメンバーに向かって言う。すると他のメンバーも須田君に「うん。須田君は死ねばいいと思うよ」と返して、一頻り皆で笑うというのが定番となった。

そのうち、演奏要求やアレンジの決定とか関係なく、演奏が終わって一息ついた後に、ジュンちゃんが「須田さん、須田さん。死ねばいいのに」と言うのも定型となった。
これは勿論、音楽スタジオという密室であり、そこにいるのは気心の知れたメンバーのみという二重の条件下だからの発言だ。そして、「死」という重たい言葉を使ってはいるが、発しているジュンちゃんも、言われている須田君、そして他のメンバー(俺を含む)も、その発言の真意は判っている。

ある種のジュンちゃんからの愛情表現の一つとも言える。実際に、ジュンちゃんが死ねばいいのにと言う相手は須田君だけだった。俺は一切言われなかった。俺はジュンちゃんからは「あにぃ」と呼ばれていた(バンド内で俺をそう呼ぶのはジュンちゃんだけだった)。別のバンドでも俺を「あにぃ」と呼ぶ人がいた。ま、これは俺が歳食ってるから、単純にバンドで最年長っていうケースが多かっただけの話なんだが。

全く同じ言葉であっても、使う場所、使う相手、使う状況で意味が変わってくるのは、別に「死ねばいいのに」だけじゃない、否定的な言葉全般である。

まだ若かった頃、付き合っていた女性に「やあ、不細工さん」と呼びかけていた時期があった。これは彼女自身が「私、不細工だからなー」と自嘲していたので、そんな事ないよという意味を込めてだ。彼女もそれは判っていた。ところが、たまたま彼女の友人がそれを聞いていた。
「アンタの彼氏、最低な男じゃない? 自分の恋人を不細工呼ばわりするなんて」と憤慨していたらしい。その話を聞いて、「不細工さん」と呼ぶのは止めた。友人の勘違いがどう波及していくか判らないからだ。

ネガティヴな言葉は、状況によっては、実はとても親愛の情を示している場合があるのだが、それは当事者以外には伝わりづらい。
そして、誉め言葉よりも使い方が難しい。一歩間違えると、相手にその言葉が悪意として伝わる可能性もなくもないからだ。だから、真意が伝わるかどうか不明な場合は、少なくとも誉め言葉を並べておくほうが、誤解はされない。

 という事で、こんなどうでもいいBlogを読んでいる皆さんは暇人か阿保のどちらかだと思いますので、もっと有意義なBlogを読んだほうがいいと思います。そして、いつも読んで下さってありがとうございます。
馬鹿にしてんのか、感謝してんのか、どっちだよ。

死ねばいいのに(俺が)。