Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

最高の女とベッドでドンペリニヨン

10代の頃、浜田省吾の「MONEY」という曲を聴いていたら、以下のような歌詞があった。

純白のメルセデス
プール付きのマンション
最高の女とベッドでドンペリニヨン

この「MONEY」という曲は、貧乏な家に育った主人公が、いつか大金を手に入れて、自分を見下してきた奴らを見返してやるという内容のロックな歌だ。
そして上の三行の歌詞が曲半ばで歌われる。最初の二行は良い。意味が判る。
白いメルセデスベンツが欲しい(何故、ロックミュージシャンはみなベンツを欲しがるのだろうか?)、高級マンション(いわゆる億ションて奴だな)を手に入れてやる! そういった決意だ。
問題は三行目だ。最高の女とベッドで…これも別に比喩でも隠喩でもなく、ストレートな意味だ。モデル並の美人な女性とベッドで裸で抱き合いたいという以外に解釈のしようがない。

さて、問題はだ。「ドンペリニヨン」てなんですか?

勿論、今は何を意味しているかは判る。だが、当時まだ10代で、群馬の片田舎で暮らしていた高校生が「ドンペリニヨン」なんか知る筈もない。俺は勝手に「セックス」を意味する英語以外の外国語だとずっと思っていた。
あの頃は多分バブル経済のピークで、東京ではドンペリを呑むバブリーな人が沢山いたのだろう。

25歳の時、勤めていた輸入代理店の社長がドンペリを呑ませてくれた事があった。人生最初で最後のドンペリだ。確かに美味かったが、「ふーん。ただのシャンパンじゃねえかよ」と思ったのも事実。二千円や三千円なら飲んでもいいけど、万札使ってまで飲む酒じゃない。
今値段調べたら、ドンペリロゼでも、8,000円だってさ。高い酒だ。

スパークリングワインだったら、スペインのミハスで飲んだ一杯5ユーロ(約650円)のほうがドンペリより断然美味かった(そりゃ、勿論スペインのアンダルシア地方に旅行するという付加価値があるから美味いんだけど)。

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というか、酒にしても料理にしても、最初から高い値段がついているものなんて、それほど意味はないと思う。当然高いには高いなりの理由があって、その理由に正当性があるのならば文句を言う気はない。例えば、一流の料理人が丹精込めて作った懐石料理とかね。ただ、料理にしても酒にしても、それ本来の味よりも、どこで飲むか、誰と飲むかのほうがずっと大事だ。

とか偉そうに言ってはみたものの、根本的な問題として、俺は馬鹿舌だから高級料理や高級ワインなんか飲んでも味が判らないのだ。俺が馬鹿舌の持ち主なのは、これはガキの頃にまともな物を喰ってこなかったせいだ。だからと言って、両親を恨むとかそういった事じゃない。群馬の片田舎なんて、新鮮な魚介類を喰う事も出来なかったし、まともな料理がなんであるかすらも知らなかった。
肉じゃがにいれるのは豚肉じゃなくて牛肉だというのを知ったのも東京に来てからだし、世の中にチキンカレーやビーフカレーがある事を知ったのも二十歳過ぎてからだ。

だから、いわゆる成金な人達が金に物を言わせて、下品な金の使い方をしている事を非難する気にはなれない。突然、慣れない大金を手に入れたら、そりゃ外国産のスポーツカーを何台も買って、高級タワーマンションを現金で購入して、銀座の料亭で飲み食いもしたくなるだろう。酒に金粉を浮かべたくなったりもするかもしれない。

そういう訳なので、俺がそのうち「アウディ買ったよ」とかblogで報告したら、「やっぱり成金は金の使い方判ってねーな」と馬鹿にしてやってください。
今から、宝くじの結果確認するので。

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それから、宝くじを買う人の事を「当たる訳ねーだろ。この情報弱者め!」とか馬鹿にする奴がいるが、そういう無粋な奴には一言言っておきたい。
「夢を見るのは自由だ」