Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

現実からの逃避

日々、なんの屈託もなく、悩みも辛みも抱えずに生きている人というのは、そういないと思う。
大なり小なり、誰もが辛さや苦しさ、要するにストレスだ、を持って、それと折り合いをつけながら、毎日を過ごしている。
笑顔を絶やさずにいつでも陽気に見える人だって、表立って言えない悲しさを秘めて、笑顔を作っているのだ。

俺自身、札幌に来てからそれ程大きいストレスや悩みを抱えた事がある訳じゃないが、それでも多少なりともストレスはある。そのストレスの大半はやはり仕事や仕事に絡む人間関係など。
また、プライベートの人間関係が拗れた時が一番きつい。これは経験ある方は頷いて貰えるかと思う。特に一緒に生活を共にしていた人間との生活が破綻を迎えた時なぞ、ちょっと洒落では済まない。
全てを投げ捨てて逃げ出したくなったりする(経験談である)。

先の話は本当に洒落じゃ済まないので、これ以上言及はしないでおく。仕事に限定して言えば、過去に本当につらくて逃げ出したかった事が二度程あった。
一回はまだ20代の頃。当時、まだ技術者としては半人前で(今でも俺は三流システムエンジニアなのだが)、仕事も碌にこなせなかった。にもかかわらず、現場に一人前として送り込まれた。
例えて言うなら、カレーと野菜炒めしか作れない調理人見習いが、中華料理が出来る触れ込みでレストランに雇われたようなものだ。現場に入れば、すぐに他の技術者からは実力がばれる。それでも辞める訳にもいかないので、必死で仕事をこなしたが、本当に結果は酷いものだった。
毎日、仕事終わりに駅まで向かう途中の酒屋で缶ビールを買って、それを飲むのが唯一の楽しみだった。ストレスで飯が喰えなくなり、その現場にいた半年強、毎日昼飯抜きだった(食欲が湧かないのだ)。
おまけに一緒に働ていた上司がクソッタレ野郎で、部下の心情を思い計る事が一切出来なかったので、さらにストレスは増えた。
その現場が終了する時、本当に嬉しかった。

もう一回は、東京の最後の一年でやった仕事だ。ここでは、俺より年上の当時50代半ばのお局ババアにパワハラを受けた(基本的に、自分より年上の女性を『お局』とか『ばばあ』とか呼ぶ趣味は俺にはない。が、あいつだけは別だ)。あいつだけは今思い出しても腸が煮えくり返る。神様からこの世で一人だけ金属バットで気が済むまで殴って良いと言われたら、俺はあのババアをぶん殴りに行く!(何をされたかは具体的には書かない。書きだすと、止まらなくなりそうだから)
ちなみに、このババア、名前を『彩乃』と言った。なんで顔と性格が名前と反比例すんの?

今はさすがに上記のような、もうどん詰まりのどうやっても逃げ場のないようなストレスを抱える事はない。それでも、やはり日々小さな、人から見たら取るに足らないようなストレスは少しずつ累積していく。
よく「そんな小さな事でクヨクヨするなよ」とか「そんなの、***に比べたら、大した事じゃないさ」とか無駄な慰めを言う人がいる。俺から言わせれば、痛みや悲しみは他と比べられるものではないし、比べた事で傷が癒えたり、減ったりするもんじゃない。
だから、そういった無意味な慰め言葉は不要だし、無用だ。

さて、やっと本題。というか、俺は自覚しているけど、前提が無駄に長い。もうちょっとなんとかなりませんかね?(自分に向かって言っています)

こういった日々の少しずつ累積されるストレスを解消する一番良い方法は何か。これは人によって解消方法は様々だろう。憂さ晴らしの晩酌という人も多いのではないだろうか(昔の俺がそうだったから)。また、俺の場合は間違いなく楽器演奏がそれにあたるのだが、最近調子づいて色々やっていたら、腱鞘炎になった。暫く楽器演奏は「ほどほどに」である。

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俺の場合は楽器演奏はストレス解消とかじゃなく、純粋に楽器をいじりたいので、ストレス解消とはちょっと違う気もする。おまけに楽器を触り過ぎて腱鞘炎になって、楽器がいじれなくなるとは、これは本末転倒である。

現実の辛さを一時なりとも忘れるのに一番良いのが、俺の中では映画鑑賞だ。それもハリウッドの大作映画、SFやアクションを主眼としたのが良い。こちらは現実世界の辛さから逃避したくて映画を観るのだから、そこで変に現実を感じさせるようなリアリティのある物語は要らない。
だから、理想形は「エイリアン」、「マトリックス」、「バイオハザード」みたいな未来のSF物か、「007」や「ミッション・インポッシブル」みたいな超ど派手なアクション映画。これらが最高だ。
愛と追憶の日々」とか「クレイマー、クレイマー」(どっちも古いな)みたいな現実生活の度合が120%な映画は御免被る。せめて、映画のスクリーンの中だけでは、夢を見ていたいじゃないか。

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ということで、先日「ミッション・インポッシブル(以下、MI):フォールアウト」を観て来た。アクション満載の馬鹿映画(誉め言葉)である。微妙にストレスが溜まっていたし、音楽絡みのイベントが集中した事もあって、暫く相方と出掛けていなかったので、たまには一緒に外出しないとなあという狙いもあった。
この時期にやっているそういった俺の希望する映画がそれしかなかったのだ。相方は「MI」好きだし、俺も嫌いじゃないので、好都合。しかし、前作の「ローグ・ネーション」も前々作の「ゴースト・プロトコル」も一回しか観ていないので、内容をほぼ忘れていた。
ま、「MI」に関して言えば、脚本がどうのこうの言う映画じゃないので、問題無しだ。トム・クルーズのアクションを堪能する以外にこの映画の主題なんて存在しないのだから。
ただ、一つ思ったのが、さすがのトムも老けたなあって事だ。56歳だもんな。老けていて当然だ。それでもアクション満載で俺は二時間、現実を忘れて映画に没頭する事が出来た。
これだから、映画って面白いんだよなあ。

勿論、毎週毎週映画を観に行くような時間的、金銭的余裕はないから、たまにしか映画は楽しめない。そうなると家でケーブルTVとかで昔の映画を観る事になってしまう。が、やっぱりアクションとかは映画館の大スクリーンで迫力のある音響装置と共に観たいもんなあ。

贅沢を言えばキリがない。だから、そういった時はなるべく小さな、ささやかな喜びを見つけて、それを心の糧にするしかない。例えば今夜、俺は晩御飯のデザートにメロンを食した。相方が会社から貰って来たのだ。

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良い歳したおっさんが「デザートにメロンだ。わーい」と喜んでいるのも阿保みたいではある。だが、そんなささやかな幸福を積み重ねていく事が、日々を少しでも暮らし易くする方法なのだと思う。