Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

17歳のままさ

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FACEBOOKを見ていたら、ある女性がスリーショットの写真を投稿していた。キャプションにはこう書かれていた。
「娘と孫と一緒に」

ああ、そうか。彼女はもう孫がいるのか。ちょっと驚いたが、年齢を考えたら格別不思議な話じゃない。
その女性は俺が10代の頃に交際していた人だ。端的に言えば、元恋人だ。
彼女の投稿を見て、二つばかり衝撃を受けた事がある。

一つは、彼女と交際していた頃から既に30年以上が経過していたという事。当時、俺が17歳で彼女が15歳。一緒に過ごした時間はわずかに一年足らず。それからもう何十年も(厳密には33年)経っている。勿論、ちょっと過去を思い返せばそれだけの時間は確実に流れているのだけれども、俄かにそれが信じがたい。
彼女と別れて10代が過ぎ去り、迷走した20代、遊びほうけた30代、(俺にしては比較的)真面目に生きた40代と時間を積み重ねて、50歳を過ぎた今の自分がいるのもちゃんと認識している。

それにしても、である。よくもこんなに長い間生きたもんだな、感心する。別に早死に願望があったとか、刹那的に生きて来たとかそういう訳じゃない。ただただ、その日その日を生きてきたら、こんな年寄になっていた、というだけの話だ。
勿論、今の時代、50代なんてまだまだ若いという意見もあるだろうけれども、17歳の少年からみたら50歳なんて「棺桶に片足突っ込んでる人」だよな。当時の俺はそう思っていたもの。

当時、真面目に「結婚しよう。その為に俺は高校辞める!」と彼女に話していたのだ。彼女もまた「貴方と一緒になりたい」と言ってくれていた。客観的に見たら、明らかにままごとレベルの遣り取りだ。当時の二人(その片割れは俺自身だが)が何も考えておらず、単に好きな恋人が出来て、頭の中がお花畑状態になっていたに過ぎない。
だけど、俺は当時の自分自身と彼女を笑う気にはなれない。10代の純真さ、生真面目さというものは、あの年代でなければ発揮する事の出来ない代物だからだ。
あの恋愛に真摯に向き合って、互いの事のみを考えていられる時期というのは、どう考えても10代の純真無垢な時代にしか存在しない。

そして二つ目の驚きというのが、彼女がえらく老けていたという事実から、「ああ、俺もすっかり歳を喰った」という事実に気づいたという事だ。表現が回りくどくて判り辛いな。
話をシンプルに整理しよう。
娘さんとお孫さんと一緒に写っていた彼女はかなり老けて見えた(昔から大人びて見えたからなあ)。で、俺は図々しく「あの頃の彼女は若くて可憐な少女だったのに、今はすっかりおばちゃんだなー」と失礼な事を思っていた。で、その瞬間に、「待てよ。俺がそう思うって事は、向うだって俺の今の写真見て『この人もすっかりオッサンになったなー』と思ってるのか」と気づいたのだ。

自分ではまだまだ若いと思っているのだけれども(本当に俺は図々しい男である)、周りから見れば、間違いなく「老けた疲れたオッサン」そのものなのだ。

いつまでも若いつもりでいても、知らず知らずのうちに人は老いていくものなんだよなあ。周りはその人が歳喰った事を認識しているけれども、実はその認識が足りない(無い)のは本人だけなのかもしれない。

という事で、今までが前提(というか、えらく長い前提だな。御安心を。本題のほうが短いので)。
最近、札幌でバンド活動を二つほどしている。一つはデフ・レパードというブリティッシュロックのカバーバンドでドラム担当。もう一つがホーンセクションを中心としたバンド。こっちでの担当はギター(何故か諸事情によりサックス担当ではないのだ)。来週の日曜にギター担当のバンドでライブがある。
で、一所懸命、曲を覚えようと日々練習しているのだが、なかなかギターパートの演奏やコード進行が頭に入ってこない。20代の頃は三日もあれば覚えられたものだが、今は三日練習しても60%くらいしか頭に入らない。
(一応、言い訳として、ギターは東京から札幌へ引っ越すタイミングで丸二年くらい一切触っていなかった。だから、そういった影響もあるかもしれない、というか、そういう事にしといてください)

「これが年取るってことなのかなぁ…」と実感している。気持ちだけは、永遠の17歳なんだけどな。まったく、歳は取りたくないもんだ。