Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

生まれたところを遠く離れて

赤城山の麓で生まれ育った。あの国定忠治で有名な赤城山だ。ちなみに赤城山群馬県にある。
高校を卒業するまで、毎日庭から赤城山を眺めていた。何故かというと、他に見るものがなかったからだ。

そして、東京にほど近い埼玉の大学に進学した。親元を離れ、一人暮らしを始めた。何故か真面目に大学に通う気が起きず、3年でドロップアウトした。世間一般では「中退」という奴だが、教養課程を修了していないので、厳密には「除籍」だ(笑) 今は学歴不問の会社に所属しているので、どうでもいいことだが。

そして大学を辞めてからフリーターをやったり、水商売の女性のヒモをやったり、ブラブラしていた。フロームAという求人誌で「サイパンで働ける」という仕事があったので応募して、サイパンに行った。
一ヶ月程、サイパンで働いた。やった事は色々だ。研修期間だったから、殆ど遊んでいたけど。だが、あまりにもサイパンというところが詰まらなくて、一時帰国でその会社は脱走した。結局、給料は貰い損ねた。

仕方がないので、当時の恋人の伝を頼って、山梨県に三ヶ月程住んだ。さすがに遊んでいる訳にはいかないので、パチンコ屋で住み込みのバイトをした。そうして求人誌で仕事を探していた。

東京のソフトウエア会社が技術者(プログラマとかシステムエンジニアとか呼ばれる職種だ)を募集していたので応募したら、採用されたので、東京の世田谷に住居を構えた。会社が渋谷だったから、世田谷だと30分程度で行けるのだ。一年もしないうちに会社が千葉に営業所を作り、そちらに配属になった。だが、仕事の関係上、東京と千葉の両方にアクセスの良い所に住む必要があった。

東京の江戸川区に引っ越した。東京に詳しくない方に説明すると、ここは東京ディズニーランドが近い。江戸川区に引っ越したのは、自分の選択じゃない。会社の知り合いの不動産屋が物件を勝手に見つけて来たのだった。

そして、暫くしてアメリカ長期出張の仕事が廻ってきた。シンシナティだ。アメリカに既にある固定電話のシステムを日本用にカスタマイズする仕事だった。トータルで、俺はアメリカに一年半弱いた。いい経験だった。死ぬまで友人だと思えるアメリカ人3人と知り合った(今はもっぱらFACEBOOKでやり取りする程度だけどね)。

そして、それからずっと東京江戸川区だ。他に住みたい街も特になかったからだ。江戸川区在住が25年程度になった。俺が人生で一番過ごしたのはこの街だ。別に特に愛着がある訳じゃないけど。

去年、俺が18年所属していた会社が倒産した。自慢じゃないが俺は過去に3社に在籍した事があるのだが、その会社は全て潰れている。まあ、零細企業なんて、生き残る事自体が難しい。

仕方ないので、今年の頭からフリーランサーで働き始めた。つまりどこの会社にも属さずに現場を渡り歩くという奴だ。正直言って、若いうちはそれでもいいけど、歳喰ってからだと、結構きつい。

今年の8月の半ばに、相方の知り合い(俺も一度だけ酒食を共にした事がある)のエージェントから、ある会社が人を募集していると紹介された。
駄目元で受けてみるかと面接を受けたら、一次面接、二次面接と通り、採用となった。10ヶ月のフリーランサーを経て、また会社員となった。

問題は、勤務地が札幌という事だ。

25歳の頃に出張(10月)と社員旅行(5月)で北海道に行った事がある。北海道経験はそれだけだ。北海道の冬も経験した事がない。若い頃ならともかく、この老体で札幌の寒さに耐えられるかも判らない。

それでも、相方と話し合い、札幌に行く事に決めた。相方は仕事の関係ですぐには札幌には来られない。当分は札幌と東京で別々の生活だ。二重生活になるから、生活費(家賃等も含め)も倍かかる。全て持ち出しだ。

上手くいくかなんて、一切判らない。保証も何もない。だけど駄目だったら、ケツまくってまた東京に戻ればいい。
そう思えば、気も楽じゃないか。
11月の最終週に札幌に来た。初日に寒さの洗礼を受けて、心が折れそうになった。

まだ、何もわからない。何もしていない。来てよかったのかどうかすらも判らない。
ただ、やってみなけりゃ、判らないからな。

とりあえず、日々を生きてみよう。考えるのは後からでいい。

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