Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

腰が痛い

在宅ワークも三ヶ月目に突入した。朝の通勤電車に乗らなくて良いのは有難いのだが、人と殆ど会話をしない生活に精神がおかしくなりそうだ。
端的に言えば、気が狂いそう、という奴だ。

そして、精神のみならず、身体にも悪影響が出てきた。
今、俺が住んでいるワンルームのボロアパートにある物と言えば、ベッド、ギター、サックス、電子ピアノ、そしてちゃぶ台くらいである。
(食器やフライパンは勿論あるけれど)

f:id:somewereborntosingtheblues:20200715002705j:plain

このボロアパートは、相方が東京に戻ってくるまでの俺の単身用の仮住まい。そのつもりだった。だから、極力余計な物は買わないでやりすごしてきた。そうやってこの一年を過ごした。
前にも書いたけれども、うちには冷蔵庫もテレビも洗濯機もない。それでもやってこれた。問題はなかった。
ちゃぶ台を買ったのは、さすがに食事をするテーブルが必要だったから。まさか、自宅で仕事をする事は想定にない。
この三ヶ月、ちゃぶ台の上に会社支給のパソコンを乗せて、胡坐をかいて仕事をしていた。ずっとこんな体勢でいたら、腰によろしくない。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200715002739j:plain

ここのところ、腰が痛い。そりゃそうだ。碌にストレッチとかもしないで、ずっと身体が凝り固まる状態でいたのだから。今更手遅れだが、ネットで「腰が痛い ストレッチ」で検索して、いくつかのストレッチをやる方法を覚えた。
が、昨日今日いきなりストレッチをやったからといって、腰の痛みがすぐに消える訳もない。三ヶ月の累積があるのだから。

胡坐をかいて一日中過ごすのは良くないと気付いたので、電子ピアノの上にパソコンを置いて作業する事にした。このほうがまだ、ちゃぶ台で作業するよりはマシだろう。だが、腰が痛い。

とりあえず、マッサージにでも行って、腰の痛みを緩和させようかと考えている。
銭湯に行って、大きな湯舟にゆっくりと浸かり、リラックスするのも良いかもしれない。

今の俺にやれる事は何もないので、バンデリンを腰に塗って、湿布を貼った。気休めだが、こんなものでも、しないよりは良いだろう。
いよいよもって、こんな事をやっていたら、どんどん老人化が進むだけだ。ただでさえ、俺は運動とは無縁の生活を送っているのだ。これ以上、身体に負担をかけて良い結果が生まれる筈もない。

まずは近所でストレッチをやってくれそうな整骨院みたいなところを探してみよう。
昔、札幌に行く前、相方と一緒に通っていた整骨院があった。俺も相方もかなり身体が歪んでいるらしく、相方は行く度に絶叫していた。その先生は名医で非常に上手かった。
先生が言った。
「今までの何十年の積み重ねで歪んだものを、たった数十分の施術で治る訳ないでしょ」
言われてみれば、その通りだ。下手に「すぐ治りますよ」なんていう医者よりもよっぽど信頼が置ける。あの先生にまた治療して欲しいなあと思うが、今住んでいる場所からだと、片道一時間半かかる。ちょっと現実的じゃない。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200715002809j:plain

歳を食えば、たたでさえ身体にガタが来る。それに加えてこの在宅ワークによる身体への負担。
精神に負荷が掛かるような生活というものが、肉体にも負荷を与えるのは間違いのないところなんだな。

健全な肉体に健全な精神は宿る、か。今の俺は真逆だな。不健全な身体に、ボロボロの精神状態って奴だ。
人間やはり、心も身体も余裕がないといけない。

10万円のゆくえ

f:id:somewereborntosingtheblues:20200710025845j:plain

特別定額給付金の申請用紙は、確か5月には届いていたと思う。6月に入ってからだったかもしれない。
とにかく、5月6月は仕事が忙しくて、申請用紙に記入する気にすらなれなかった。期限は8月半ばだったから、「7月に入ってから書けばいいや」と思っていたのが実情。案内の封筒にも「6月は申込が殺到するから、余裕あるなら、7月からにしてね」という意味のメモも入っていたし。

で、俺の場合は正直なところ、目先の10万円がないと生活出来ないという状況じゃなかったから、慌てる必要もなかった。
7月に入り、仕事も谷間を迎えたので必要な身分証明や口座のコピーを取り、用紙に必要事項を記入してポストに投函した。投函する時にふと思いついて、写真を撮って、それを相方にLineで送信した。

「へー。良かったねー。10万円、何に使うの?」
相方の問いに俺は答えた「パソコン壊れたから新しいの買った。それで既に7万は使っちゃったよ」
これは事実。とは言え、新しいパソコンは起動確認済ませた後は、押入れに突っ込んだままなんだけど。そろそろ古いパソコンから新しいのに替えようかな。

「じゃあさ、残ったお金でバッグ買って」
すかさず、相方の「あれ買って、これ買って病」が再発した。特別定額給付金は元々何か買おうという考えが俺にはなかった。物欲ないしね。たまたまパソコンが壊れたから、新しいのを買ったけれども、それがなかったら、10万円は口座に入れっぱなしになっていたことだろう。しかし、前から俺が給付金は特に何か使う予定はないと言っていたのを、ちゃんと覚えている辺りが小憎らしい。
「いいよ。東京来た時に買ってあげようか?」(相方は7月末に出張で東京に来る予定なのだ)
「やったー」という文字と共になんか笑顔の絵文字が並んでいた。 \(^o^)/ こんな感じのやつ。

銀行口座に金を入れっぱなしだと経済が回らない。だから、相方が買い物をする事によって、お金が動き、世の中が回る。それは理屈では理解出来る。だが、やはり俺の頭の中では「どうしてそんなに四六時中、バッグが欲しいのか」が不思議でならない。
ま、これは未来永劫、俺と相方の間では相互理解を得られない物だから仕方ない。

30代の頃に一時、ロック系のセッションに顔を出していた事があった。その常連メンバーにM君という男性がいて、彼はギターマニアで、彼の所有しているギターを全部売れば、ベンツが買えるという噂がまことしやかに流れていた。
本人に訊いたら、どうやらまんざら嘘でもないようだった。彼は確か一流企業に勤めていたので、そんなことが可能だったのだろう。

俺が札幌に行く前に習っていたドラムの先生は、ドラムに関する物(スネア、バスドラ、シンバル等)を全部合わせると一千万円以上掛かっていると言っていた。彼は昔、八神純子さんのバックでドラムを叩いていたそうなので、それも納得である。

世の中で楽器演奏する人の中には、一本のギターをひたすら大事に弾きまくる人と、何十本もギターをコレクションする人に二分される。映画「ボヘミアンラプソディー」で人気が再沸騰したクイーンのギタリスト、ブライアンメイは一本のギターをずっとメインで使っていると言う(父親と作った手製ギター)。
またギターを何十本も持っていて、ライブ中にとっかえひっかえ演奏する人もいる。
これはどちらが良い、悪いの問題じゃない。単純に志向の問題だから、それぞれ自分の想いがある筈だ。

マチュアでも弾きもしないのに、何本もギターやベースを持っている人がいる。ギターの価値が判らない人からすると「身体は一つなのに、そんなにあっても仕方ないでしょう」となる。だが、それは女性のバッグや靴にも同じことが言える。
それを言い出すと泥仕合だ。言うだけ無駄。

俺の部屋の押入には時代劇(殆どが必殺シリーズ)のDVDがあるが、全部合わせると多分30万円以上になるだろう。だが、それで良いのだ。
物の価値なんて、当事者以外には理解出来ない場合が殆どだからだ。

だから、俺は相方に「バッグ欲しい。買って」と言われたら、素直に「判った。どれが欲しいの?」と言うだけだ。
それで世界は平和になる。

あと三ヶ月

気付けば、あと三ヶ月となった。
三ヶ月後、相方が東京に戻って来る。俺が東京に戻って一年。別居生活はこのままいけば、一年と四ヶ月で終了となる。

4月に相方の手術の為、札幌に行った。その時、相方から「10月には東京に戻れる見込みだよ」と聴かされた。俺達が札幌に行く前、相方は医療系コンサル会社の営業部で働いていた。それなりの仕事を任されているらしく、俺が札幌に行く時も「一緒に行くのは無理だよ。ちゃんと仕事を片づけてからでないと(札幌には)行けない」そう言われた。
それは仕方のない事だ。納得した。2016年12月、俺は独りで札幌に行った。そして四ヶ月遅れで相方が札幌に来た。そして何度も書いているが、去年の6月に仕事の関係で俺は独りで東京に戻った。
相方は当時、医療コンサル会社の札幌支社の立ち上げに関わり「当分は東京には帰れない。札幌支社で結果出さないと、東京本社に受け入れて貰えない」そう言った。
これまた仕方のないことだ。俺は了解した。俺達の札幌生活のスタートとエンドはどちらも別居生活である。

「ふーん。10月に東京(本社)に戻れるの?」
「なんか、10月には帰ってきて欲しいんだって。本社のお偉いさんに言われた」
相方は、俺なんかよりも、仕事人(しごとじん)としては、よっぽど能力がある。多分にかなりの人たらしなところがあるのだと思う。相方の勤める会社は、大阪、福岡にも支社がある。そこには、魑魅魍魎なお局様達が大量にいて、その人達と上手く仕事を回せるか否かが、重要なのだと言う。ま、年齢的に言えば、相方も充分にお局様(というか、妖怪のレベルだな)なんだが。

札幌に行く前は、東京の東に位置する江戸川区というところに住んでいた。そして二人バラバラに札幌へ引っ越した。今、俺は東京の西に住んでいる。相方が東京に戻ってきたら、今度は神奈川県に住もうと言う事になっている。何故なら相方の職場に便利だからだ。
俺はプロジェクトが変わる度に勤務地が変わる職種だから「ここに住みたい!」というのが特にない。ま、なるべくアクセスの便利な場所が良いというのはあるけれどもね。

何度か書いているけれども、相方は東京生まれの東京育ち。そして東京の西で生まれ育った。俺と一緒になるまで、東京の東側では暮らした事すらなかった。江戸川区(東京に土地鑑のない人に説明すると、ディズニーランドがある浦安の近く)は海が近い。相方は俺と暮らし始めてから「なんか海の匂いがする」とずっと言っていた。
江戸川区に20年以上住んでいた俺は、そんな事にはさっぱり気付かなかったけれど。
相方は江戸川区に引っ越しただけで、ある種のホームシックになっていた。そして札幌に行ったら、今度は東京へのホームシックに罹った。ま、これは仕方ないだろう。友人もおらず、12月から4月の頭まで雪の降る北国を、40代後半で初めて経験したのだ。そりゃホームシックにもなるわな。

江戸川区では、UR賃貸に住んでいた。古い物件で、窓ガラスが薄く、冬は寒かった。14階建ての13階に住んでいたのだが、運良く上の階の足音や騒音に悩まされる事はなかった。ずっと空室だったのだろうか? ただ、東京江戸川区はインド人居住率が滅茶苦茶高く、俺達が住んでいたマンションも、日本人よりもインド人のほうが多かった。
エレベーターでは、日本人に遭遇する機会よりも、インド人に遭遇する回数のほうが圧倒的に多かった。
隣の部屋もインド人家族が住んでいて、換気扇を通して、いつもインド料理の匂いが流れていた。相方はそれが苦手だったらしく、「あの匂い嫌いだなー」といつも言っていた。

俺はインド人差別をするつもりはないが、確かにインド人はみな、ちょっと日本人には馴染のない、強い体臭を持っていた。あれはスパイスの効いた料理を普段食べているからだと思う。アメリカ人が獣臭いのと一緒だ。これは他国からすれば、日本が醤油臭いってのと同じような感覚だろう。
UR賃貸は古くてボロだったが、唯一良かったのがベランダからの眺めだ。さすがに13階から眺める景色は悪くなかった。今後、こんな景色の良い部屋に住むことは多分ないだろう。下の写真はUR賃貸のベランダから見た夜景と、ベランダに飾られた花(無論、花を飾っていたのは相方)。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200706231337j:plain

f:id:somewereborntosingtheblues:20200706231404j:plain

今月、相方が出張で東京に来るのだ。休みを利用して、神奈川の街を下見に行こうと言う。まだ部屋を見るには早い。要するに「この辺りの街の雰囲気を知っておきたい」というのが狙い。
「ずっと東京で生まれ育ったのに、札幌で暮らして、今度は神奈川かー」相方は面白そうに言った。まあ、札幌と違い、神奈川なら古い友人にもすぐに会いに行ける。だから、問題ないのだろう。

札幌に行く事を決めた時、俺は60歳までは札幌で暮らす予定でいた。それが三年で東京に戻り、そして一年数ヶ月の一人暮らし。ついで、今度は神奈川に住む(予定)。
人生なんて、本当にどうなるのか、判ったものじゃない。

となると、まだまだ一波乱、二波乱、俺の人生にはありそうだ。
覚悟しておこう。

三ヶ月振りにピアノを弾く

明日は、実に三ヶ月振りのピアノ教室だ。随分と長い間、行かなかったものだな。
というか、教室自体が閉鎖されていたのだから、仕方ないのだが。

教室は平日も開いていたのだが、仕事が忙しくて、平日は通えなかった。俺はもっぱら土日のみ予約していた。ところが、三月半ばに教室のほうから「土日は人が多く(混雑するので)、教室を閉めなくてはいけなくなった。平日通えますか?」と問合せが来た。無論、平日は無理と伝える。
そうして暫くしたら、四月からは平日も含めて、教室は暫くお休みとの連絡が来た。

先週、ピアノ教室の担当の先生から「七月から再開します。通えますか」との問い合わせが。仕事は変わらず最悪だが、こんな引き籠り生活をこれ以上続けていては精神が死んでしまう。
「当然復帰します!」と先生には伝えた。このコロナ騒動がきっかけで、教室を辞めてしまった会員も結構いるんじゃないかなと想像する。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200703182440j:plain

この三ヶ月、全くピアノには触れていなかった。仕事が忙しかったというのがメインの理由なんだけれども、要は仕事が終わると酒飲んで、酔って寝ていたからピアノが弾けなかったというのが事実。まるで建設的でない生活だ。
昨日、久しぶりにピアノを弾いてみた。教室が休みになる前にやっていた「In My Life」を演奏してみる。多分、ボロボロだろうと思っていたのだが、自分が思っていたよりはずっと弾けた(と言っても、そもそものレベルが低いのだから、人と比べたら大した演奏じゃないのは確か)。

へえ、身体(というか指)が結構覚えているもんなんだな、と年甲斐もなく嬉しくなった。
これがあるから、楽器は止められないんだよなあ。当然の話として、俺の演奏するピアノなんて、ピアノ習って数ヶ月の小学生にも負けるレベルだ。でも、音楽ってのは、人と競うものじゃない。自分の心の糧となり、聴いている人を多少なりとも喜ばせる事が出来れば良いのだ。
果たして俺の演奏を聴いて、人が喜ぶかどうかは疑わしいところではあるが。

ドラムはスタジオに行かないと叩けない。サックスはスタジオに行くかカラオケボックスに行くか。どちらも今はまだ難しい。となると、俺が部屋でやれる楽器は必然的にピアノかギターとなる。
多分、ピアノを継続的にやらないと、それはサックスやドラムに繋がらなくなる気がする。直接的には関係ない楽器だけどさ、何か一つをやり続ける事によって、他の楽器にも良い影響を与える気がするんだよね。他の楽器を復活させるモチベーションになると言うか。

七月は在宅ワークが会社の方針で決まった。ま、仕事はどうでもいい。ということは、今月も部屋で過ごす時間が圧倒的に増えるということだ。この期間はピアノを出来るだけ弾くようにしよう。そして、ギターもたまには弾こう。ピアノで行き詰ったら、ギターで気分転換をするのだ。
前にサックスで行き詰ったらドラムをやり、ドラムが上手く叩けなかった時にサックスを吹いてモチベーション維持したのと同じやり方だ。

それにしても、今気付いた衝撃の事実。この二か月半で、顔を見て会話をした相手が、馴染みのクリーニング屋のおばちゃんと、髪を切ってくれた美容師さんの二人だけ。
明日になれば、そこにピアノの先生も加わることになる。この数は徐々に増えていくことになるだろう、ってゆーか、そうならなければ困る。

あれから一年

東京に戻ってというべきなのか、札幌を離れてというべきなのか。とにかく、札幌を離れ、東京に戻って一年が過ぎた。あっという間だ。
今更当たり前の話なのだが、人生は短い。本当に気付くとすぐに時間が過ぎ去ってしまう。

去年の6月に東京に戻って来た時は、特にこれといった感情はなかった。三年振りに戻った東京に対して懐かしいという想いよりも、三年弱しか住んでいなかった札幌に対する望郷の想いみたいなほうが強かった。
それはやはり何度も書いているけれども、望んで東京に戻ったからじゃない、という理由が大きかったのだと思う。

そして去年の夏は地獄だった、色々な意味で。ほぼ毎日23時過ぎまで残業。深夜零時を超える事も珍しくなかった。仕事は全くやった事のない分野の事をやらされ、精神がすり減った。
たった一人で、ボロアパートのワンルームでコンビニ弁当を食べる日々。これでまともな精神を保てというほうが無理だ。

冬のちょっと前に現場が変わり、それで大分に心が落ち着いた。その代りに通勤が地獄になったけど。そうやって安心していたら、新しい現場も仕事が地獄モードに陥り、結局前と大して変わらない状況となった。
いつまで経っても心の安寧が訪れない。

それでもなんとか、趣味であるバンド活動を運良く再開する事が出来た。バンドメンバー募集サイトを通じて、同い年のK君(ギター)から「良かったら一緒にバンドやりませんか」と誘いを貰い、バンドを結成した。この辺りは過去に何度か書いたな。
仕事はずっと地獄で精神がすり減るけれども、スタジオに入ってドラムを叩けるのは至上の喜びだった。そして、札幌で五十の手習いで始めたピアノも、また教室に通い始める事が出来た。
ピアノに関しては慌てる必要もない。細く長くやっていこう、そんな心づもりだった。

それがコロナで全てが活動停止。

ドラムはスタジオに行けないと叩けないから仕方ないにしても、ピアノは電子ピアノがあるのだから、ヘッドフォンを使えばいつでも弾ける。それは頭では判っている。それでもやはり教室に通って、先生にチェックして貰うというある種の強制力がないと、やらなくなっちゃうんだよなあ。
今、この文を書きながら思い出したのだけれども、ピアノも二ヶ月半弾いていない。理由の一つとして、四月半ばから在宅ワークになったのだけれども、仕事が忙しくて、夜中の23時からテレビ会議とか平気でやるのだからな。堪らない。

また、家で仕事をしていると、オンとオフの使い分けが段々出来なくなってくる。俺みたいなタイプの人間は在宅ワークには向かないんだな。この二ヶ月半、家でずっと仕事をしていたせいか、いつが仕事モードで、いつがオフタイムなのかよく判らなくなってきた。とにかく寝ている時も、「ああ、あの資料、今日中に仕上げなくちゃいけないのに全然出来てない!」という悪夢(笑)を連日見たりした。

仕事は変わらず地獄なのだけれども、先日久しぶりにバンドメンバーのグループLINEにメッセージを送った。その日のうちにメンバー全員から返事が返って来た。みな、やはりスタジオに入れる日を望んでいるようだった。良かった。前回スタジオ入ったのは3月だからね。こういった危機があると、それが原因でメンバーが離脱したり、解散することも珍しくないからなあ。

土曜日に、ピアノ教室から連絡があった。コロナのせいで休会になっていたが、7月から再開すると言う。当分、休会できますがどうしますか?と先生に訊かれたので「再開します。こんな生活してると、人として駄目になる。せめてピアノくらいは前みたいにやらないと」と意気込んで言うと、先生は笑っていた。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200630014302j:plain

何もかもが今まで通りという訳にはいかないだろう。それでも、まだ俺には心の拠り所と言えるものがあるのだから、それで充分だ。贅沢は言わない。

永遠に生きる

俺は年齢的に「棺桶に片足を突っ込んでいる」状態だ(実は、自分でもこの言葉が好きだったりする)。
最近読んだあるブログで「棺桶に腰まで入った状態」と自分を表現されている方に遭遇した。その人は俺よりも若い。
なんてこった。じゃ、俺は既に片足じゃなくて、胸くらいまで棺桶に入った状況だったのだな。

刹那的に生きてきたという自覚はない。端から見てるとそう思われるかもしれないけれども。確かに、10代から30代の若かった頃は迷走しっぱなしで、「明日なんてどうだっていいんだよ。今、この瞬間さえ良けりゃ」という感じで過ごしてきた。人生で一番落ち着いて過ごしていたのは40代だったかもしれない。

札幌に行く前の同僚にS君(俺の一つ下)がいた。彼とは二つの現場で、トータル17年程一緒に仕事をした。
それだけ長く一緒に仕事をやっていれば、互いの特性や弱点、強みなども分かり合える。俺がチームリーダーをやり、彼がサブリーダー。彼と組んでいた期間、非常に仕事は遣り易かった。これは手前味噌だけど、彼も同じ事を思っていたに違いない。
職場では、無論仕事の話がメインだが、同等に無駄話もよくした。俺が「別に長生きはしたくねえなあ。身体が動くうちに、ぽっくり死ねたら最高だな」と言うと、S君は「僕はまだまだ生きるぜ。250歳までは生きる!」と高らかに宣言していた。

「そんなに生きてどうすんだよ」と彼に問うと彼は答えた。「250歳まで生きたら、相当世の中進歩していると思わない? コンピュータだってかなり進化しているだろうし、昔よく見たSF映画の世界が現実のものになっているかもよ」

そう言われると、確かにそれは見たいかもしれない。空飛ぶ車とかはどうでもいいけど、火星まで行ける宇宙船とか、見た目が全く人間と区別つかないアンドロイドとか。
宇宙船に乗って、他の惑星に旅行なんてかなり楽しそうだ。海外旅行であれだけ異文化を経験出来て、ワクワク出来るのだ。地球外のエリアなんてどれだけ未知の世界が広がっている事だろう。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200626191020j:plain

現代の面倒臭い人間関係も、高性能アンドロイドが出来たら、相当緩和されるのではないか。俺だって、車一台買うくらいの値段で、アンドロイドが買える時代がきたら、きっと買うに違いない。
世の中ではレンタル恋人みたいな商売があるらしいけれども、それよりもアンドロイドのほうがずっと精神的充足は得られる気がする。
自分の好みの外見に、自分の気持ちに添ってくれるアンドロイド。これは良さそうだ。でも、そうやって自分で好みに設定出来ると、絶対に「なんか俺の言う通りで詰まらん。多少は逆らってくれる性格に変更しよう」って人が出てくるに違いない。我侭である。

今から200年後にそれらの世界が構築されている事が確実なら、250歳まで生きてもいいかなあと思う。ただ、あと200年は長過ぎるぜ。もう充分に生きた。そう思ったけれども、今まで生きてきた年数のたったの4倍か。それくらいならあっという間だな。
ただ、250歳まで生きられるとして、残りの200年の体力や老化具合が問題だ。よぼよぼになって、動く事もままならないんじゃ、辛い。
せめて、体力や容姿は、30~40代くらいをキープしてくれないと、150歳くらいになった時、どうなっているんだ? という話ではある。

ま、今書いた事はほぼ世迷い言なんだけど、現実に今の医療技術や食生活などの進歩で人間てどれくらい生きられるものなんだろう。

前にネットで読んだ話だと思うのだけれども、生物というのは「種の保存」に従って生きている。だから、子孫を作った時点で生命活動を維持する意味が無くなるというものだった。一番判りやすいのが、鮭だ。子供作った瞬間に昇天しちゃうんだから。
人間の場合、そういう意味では、生存活動に意味があるのは50歳くらいまで(棺桶に頭まで入りました)。
その「種の保存」目的の為には、50歳くらいまでは特に故障する事もなく生きることが出来る、そのように身体が作られている。が、今の医療技術や栄養改善等によって、人は50歳以上生きるのが当たり前となってしまった。
つまり、生物の持つ本来の寿命以上を生きた為に、人間の身体が想定外のシステム障害を起こし、各種の病気や怪我を引き起こすのだ。
非常に俺はこの言説に納得した。となると、俺なんかもう既に生きている意味も特にないので、「じゃ、死ぬか」となるのだが、さすがにまだ身体が動くので、死に急ぐつもりはない。

よく考えたら、世の中で携帯電話からスマホと進化したのは、ここ20年ちょっとの話なのだ。俺が20代半ばくらいの頃は、携帯電話もEメールもなかった時代。
となると、もうちょっと生きていれば、更なる進化(何かしらの分野で)があるかもしれない。
ただ、俺が初めてアメリカに行ったのはもう30年以上前の話だが、当時、飛行機で13時間くらい掛かった。そして今もその程度掛かる。
となると、宇宙船のほうは俺が生きている間は期待出来ない。アンドロイドのほうが、まだ分野としての成長速度は速いかもしれない。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200626191101j:plain

しかし、よぼよぼの身体になった頃に、自分で好きにカスタマイズ出来るアンドロイドが手に入ってもなあ。そうなると今度は美容整形程度の金額や難易度で若返りの手術が出来るようにならないかなあとなる。

色々考えていると、やはりこれは250歳まで生きて、吉報を待つのが良いのかもしれない。

※ 本日の写真は本文とは一切関係ない。2009年に行ったサンフランシスコの写真。機会があれば、時々載せたいと思う。

俺がベースを手にした頃

たまには音楽の事でも書こう。
ロックバンドの編成は、ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボードというパターンが多いと思う。現に、俺が今東京で組んでいるバンドもこの編成だ(俺の担当はドラム)。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200623221216j:plain

俺は過去に所属したバンドの数はあまり多くない。多分、順に記憶をたどっていけば、所属したバンド全てを思い出せる。
そんな俺だが、俺は全てのパートでのライブ経験がある(キーボードを除く)。ちょっとその辺りを今回は書く。

大学時代に演劇部の仲間とバンドを組んで、学園祭に出演した事はちょっと前に書いた。この時のパートはギター。元々、このバンドはサークルの先輩と演劇部の部室でギターを二本かき鳴らして、ローリングストーンズの楽曲を演奏していた事から始まった。
弦楽器未経験者にベースを教え込み、ギターのコードしか弾けない後輩に「お前ドラムやれ」と無茶振りをしたのも今となっては懐かしい。
この学園祭に出たバンドが母体となって、何人かメンバーを入れ替えて、ローリングストーンズのカバーバンドをやった。このバンドは俺が21歳から34歳くらいまで続いた。アマチュアバンドにしては随分と長命だったように思う。尤も、ライブはトータルで4回しかやれなかったのだが。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200623221235j:plain

俺は40歳前後でドラムを始めた。そしてJ-POPバンドに加入して数年ドラムを叩いていた。このバンドは活動が緩く、ライブをやる目途が一向に立たなかった。メンバーが「そろそろライブでもやるか」と気持ちが盛り上がった頃、俺は別のブルースバンドに加入して、このバンドを脱退してしまった。このJ-POPバンドはメンバーも良い人達ばかりで抜ける気はなかったのだが、気の迷いでブルースバンドのセッションに参加してしまったのが運の尽き。ブルースバンドのリーダーに「お前、そんなJ-POPは辞めて、うちに入れ」と強要されたのが最大の理由。他にも理由はあったと思うが忘れてしまった。このブルースバンドで、俺はドラマーとしての初ステージを踏んだ。良い経験だったと思う。悪い経験も死ぬ程したが…

f:id:somewereborntosingtheblues:20200623221251j:plain

このブルースバンドと並行して、大学時代の友人とアコースティックギターのデュオをやっていた。曲はローリングストーンズのカバー。アコースティックギター二本で、ストーンズをやるというのはなかなか面白い試みだった。このデュオでは三回ライブをやれた。俺の担当はコーラスとリードギターだったのだが、相棒に「この曲はお前が歌え」と命じられ、何曲かリードボーカルもやった。
リードボーカルって、大変だね。歌うのは嫌いじゃないけど、俺はやっぱりボーカルには向かない。基本的に声域が狭いし、声質も良くない。単純にシンガーとしての資質がない。それを言うと、リードギターとしての資質もなかったのだけれども。

さて、前述した学園祭バンドを母体として始まったローリングストーンズのカバーバンドに話は戻る。俺が26歳くらいの時だ。当時のベースが仕事が忙しい事を理由にバンドを抜けた。学生時代から始まったバンドが解散したり、メンバーが抜ける場合、理由は大抵二つだ。
「仕事が忙しくなった」「結婚して(子供が出来て)、バンドを続けられなくなった」
社会人になると、どうしても仕事や家庭があって、趣味に時間を割くことが難しくなるのだ。

ベースがいないと、どうしてもバンドの音がまとまらない。暫くはベースレスで練習していたのだが、どうにも締らない。そこで俺は意を決してメンバーに言った。
「俺がベースやるよ」
ローリングストーンズのカバーをやる上で、もう一人のギターの音は必須だった。俺の担当はリードギターだったから、オブリガードやソロがメイン。なくても曲は成立する。
そこから、ベースを買ってきて、ひたすら練習をした。弦が6本から4本に減ったから、楽になるかと思いきや、その逆だった。ただ、同じ弦楽器だから、なんとなく弾き方みたいなものが判っていたのは有難かった。ギターからドラムに転向だったら、ちょっと手が出なかったと思う。
ベースを始めて一番面白かったのが、ベースとドラムがどれだけ密に繋がっているかという点に気付いた事だった。俺はベースを弾いた事によって、初めて「ベースはリズム楽器」という言葉の意味を知った。

ギターソロも無くなったし(目立つ部分が無くなった)、ベースはどうしても音色的にも目立たない。バンドの中でも黒子に近い存在。それでも俺はベースを弾くのが滅茶苦茶楽しかった。
ベースを弾いていると、必然的にドラムの音を一番に聴くし、ギターが何を弾いているか、ボーカルがどう歌っているかも聴こえるようになった。あれは面白い経験だった。ギターを弾いていた頃は、そういった周りの音を聴くという状態になっていなかった。自分が前面に出たいという愚かな欲望が、バンド全体のアンサンブルを考える事をさせなかったのだろう。

f:id:somewereborntosingtheblues:20200623221334j:plain

結局、そのバンドが解散になって、それ以来ベースは18年くらい弾いていない。多分、もうベースを弾く機会はないだろうと思う(他の楽器で手一杯というのもある)。
ただ、ベースを経験した事によって、シェリル・クロウのカバーバンドにベースで参加出来たりと、想定外の楽しみも経験する事が出来た。あの時「俺がベースやるよ」と言っていなかったら、他のカバーバンドに参加は出来なかった。
シェリル・クロウは女性ボーカルだったので、バンドのボーカルは女子大生だった。

ベースを手にしていなかったら、30代半ばにして、女子大生と一緒にバンドをやる機会なんか手に入る筈もない。良い経験だった(変な意味ではないよ)。
色々と楽器をやると、出逢いが広がるというのは真実である。

※今日載せた写真は全て、シェリル・クロウのカバーバンドでのライブの様子。当時34歳だったかな。若かった(笑)