Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

本日、休業

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今日は仕事を休んでしまった。なんというか、身体と心が休みたがっていたような気がした。身体の疲れなのか心の疲れなのか。きっと両方だろう。

東京もさすがに涼しくなってきたので、もうクーラーは使っていない。だが、窓を閉め切って寝るとさすがに蒸し暑いので、窓を開けて網戸状態。そしたら、涼しさで明け方に目が覚めた。ちょっと風邪ひいたかな?と思い、その時点で今日は休もうかなあという気になった。木曜、金曜はやらなくてはいけない事があるので、休めない。が、今日なら休んでも大丈夫だろうという計算があったのも事実。
七時に目が覚めた時点では、風邪を引いている状態ではなかった。だから体調的には仕事には行けた。だが、心がもう行く気を失っていた。

今日は一日、ひたすら休息しようと決めた。八時になって相方から電話が来たので「今日は休む」と告げた。すると相方から「突然休んで大丈夫なの?」という質問が。相方も平均的な社会人(サラリーマン)なんだなあと思う。正直言って、会社の歯車が一人休んだくらいで、業務が廻らなくなる会社や組織なんて存在しない。
俺は昔の現場では、今よりももっと重要なポジションにいたが、それでも俺が休んだって現場は廻っていた。そういうものである。「自分がいなくては、ここは廻らない」なんてのは傲慢であり幻想だ。

というか、一人の人間がいなくなっただけで危機的状況に陥るような会社があったとしたら、それは構造的に欠陥があるとしか言いようがない。ただ、世の中の零細企業の社長とかはそういった立ち位置の人が多いとは思うけれども。

とにかく今日は一日ずっとダラダラして過ごした。昼過ぎに昼食を食べに外に出た以外は、ずっとベッドに寝っ転がって、昼寝をしたり、ネットをしたり。ネット廃人やニートと呼ばれる人の気持ちが少しだけ判ったような気がする。

何度も書いているけれども、仕事なんてものは所詮は飯の種だ。その飯の種の為に、心が追い詰められたり、身体を壊してしまったら意味がない。今日一日程度の休息を取っても、まだまだ心も身体も余裕が生まれたりした訳じゃないけれど。
そして、この休息は俺にとって必要な物だったのだと、自己弁護することにしよう。

昔、28歳くらいの時に、能力的にかなりキツイ仕事をやらされた事があった。あの仕事は半年くらいのプロジェクトだった。毎日毎日が辛くて、昼食が喰えなくなるくらいだった。あの時と今を比べてどちらがキツイだろうかと考えた。同じようなものだなあと思う。

人生というのはどうしても、苦しい耐えなければいけない時期に遭遇する事がある。今がそのタイミングなんだろう。ありふれた表現だけれども、止まない雨はないし、明けない夜はない。
今はそう考えて、日々を過ごすしかない。まだまだ夜明けは遠そうなのが、つらいとこではあるけれど。