Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

さらば友よ

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(生まれ変われるとしたら、次はシロクマが良いかなと最近思う)

相方からLINEが来た(という表現で合ってるのか?)。なんでも中学時代の友人が新潟におり、八月に会いに行くのだと言う。へえ、北海道から新潟へ旅行か、凄い話だなと思っていると、メッセージに理由が書いてあった。「友人が重い病気になったので会ってくる」(実際は病名と詳細が書いてあった)。
その友人の病気というのは、いわゆる女性特有の重い奴だ(男性も少数ながら罹る事があると言う)。と書けば、病名は想像がつくだろう。相方が「お別れを言いに行くことになるかもしれないから」と最後に書いていた。

大切な人を喪うというのは、いくつになっても辛いことだ。簡単に乗り越えられるものじゃない。相方の友人の状況や環境などは一切知らないけれど、きっと沢山の心残りがある事だろう。既婚者で夫や子供がいたら、さぞや無念だろうと思う。
相方の友人だから、子供がまだ小さいという事は考えにくいけれども、晩婚だったり出産が遅かったりしたら、子供がまだ小さいかもしれない。そうだったら、母親としてどれだけ無念なことか。
当たり前の話だけれども、家族がいたら長生きして欲しい、独身者だったらいつ死んでもいいだろという暴論が言いたいのではない。家族がいようが、独り者だろうが、人はそう簡単に死んでよいものじゃない。
とは言え、病気ばかりはこれはいかんともし難い。病気と事故は防ぎようがない。病気に関しては、若い頃から身体に気を付けていれば防げるという説もあるけれど、これは正直、運だという気がする。
以前テレビで見たのだが(大昔の話)、外科医が煙草を吸いながら、「ガンと煙草に因果関係はありません」と宣言していた。この説が本当か嘘かは重要じゃない。
健康に滅茶苦茶気を遣って、酒も煙草もやらず、身体に良いものだけを摂っていたのに、若くして重い病気に罹って亡くなってしまう人もいる。酒も煙草も毎日ガンガン摂取して、好きな物だけずっと食べ続けて百歳近くまで生きる人もいる。
神の配剤としか言いようがない(俺は無神論者だけどさ)。

一つだけ言いたいのは、自分から天国への階段を昇っちゃいけない、ということ。真っ正直に生きようが、人を日々傷つけながら生きようが、最後はみな棺桶に入るのだ。慌てることはあるまい。
生きていくのが辛いとか、生きている意味が見いだせないとかが理由で、或いは物凄くシンプルに発作的に自分の人生に終止符を打つ人がいる。
これは前にも書いたけれども、俺の知りあいで二人、自分で終わりを選んだ人がいる。

一人は、俺と同い年で、会社を経営していた。彼はなんでも自分の保険金を、会社の借金や残された家族の生活費に充てるように、言葉を遺したと言う。これは共通の知人から聴いた話なので、真実かどうかは判らない。
彼とは同じ現場で働いていた。或る日「飲みに行こうよ」と誘われて、サシで飲んだ事があった。同い年だが、彼のほうが長く現場にいたから、俺は彼をAさんと呼んでいた。彼は俺の苗字をちゃん付けだ。肩まで髪を伸ばし、その髪が茶色に変色していた。
「俺がさあ、毎日毎日セコセコとシステムなんか作ってるのは、週末にサーフィンやる為だよ」彼は酒を飲みながら言った。髪が茶色だったのはサーフィンで焼けていたからだった。
彼が自ら人生を終わらせたことを知った時、俺は彼と二人で酒を飲んだ夜のことを思い出した。何も会社潰して借金だらけになったくらいで死ぬことねえのにな、俺は悲しくそう思った。自己破産でもなんでもして、家族と一からやり直せば良かったのに、そうも思った。
でも、人には人の事情があり、そして余人には判り得ないことがある。俺がAさんに対して思ったことなんて、所詮は他人の単なる感想に過ぎない。本人にしか判らない辛さや、先の見えない闇があるのだ。

そしてもう一人は、前述のAさんよりも、俺にとって近い位置にいた人だった。ちなみに女性だ。共通の友人から彼女が亡くなったことを知らされ、俺は彼女の家(彼女は両親と暮らしていた)に行った。どうやって彼女の家を知ったのか未だに思い出せない。電話帳から調べたのだろうか。
彼女の家のドアのベルを鳴らすと年配の女性(母親だ)が顔を出した。彼女の友人である事を告げ、御焼香をさせて下さいと頭を下げた。既に告別式も終わっていたからだ。
焼香を終えて、キッチンのテーブルでお茶を頂きながら、両親に生前の彼女のことを話した。「うちの娘ってどんな子でした?」と母親に訊かれたからだ。話しながら、涙が止まらなくなった。30歳過ぎてから、人前で泣いたのはあれがいまのところ最後だったと思う。
家を辞する時に両親にお願いして、ギターを形見分けで貰って来た。実は彼女が亡くなる三日程前にメールで(当時はまだ携帯メールの時代)、「自分に何かあったら、ギター貰ってね」と言われていたからだ。彼女は精神に不安定なところがあったから、「そーゆー不吉なことは言うな」と返した。あれが俺が彼女に送った最後のメールだったような気がする。

世の中には、病気とかで人生を悲観して自ら死を選ぶ人もいる。そういった人にまで「お前が死んだら悲しむ人がいる。だから思い止まれ」とまで俺には言えない。
ただ、もし全てを投げ捨てて、それで生きていけるのならば、そういった道もあるんじゃないか。それだけだ、俺が言えるのは。相変わらず説得力がねえな、俺の発言は。

俺の今の日々は仕事でハードモードだ。心もやさぐれているし、ストレスも半端ない。でも、少なくとも家に帰れば酒は呑めるし、ピアノを弾こうかなという気分にもなれる(あんまり弾いてないけどね)。週末はサックス吹くぞと思える。つまり、少なくとも仕事で人生終わりにしたいとまでは追い込まれてはいない、ということだ。あと、仕事なんかに俺の人生を侵食されたら悔しくて仕方ないからね。仕事なんてものに、俺の人生に偉そうに入ってきて欲しくないのだ。
俺の人生を好き勝手にして良いのは、音楽と楽器と、そしてまあ相方だけだ。

既に逝ってしまった人に掛ける言葉もない。残りわずかな日々を生きようとしている人を慰められる術も俺は持たない。だから、ただ粛々と生きていこうと思う。俺に出来ることはそれしかない。