Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

不思議な人

以下の文章は札幌時代に書いたものだが、何故かBlogにアップするのを忘れていた。せっかくなので今日アップしときます。
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「不思議な人だね」
ファミレスで相方と食事をしていたら、相方にそう言われた。言われたのは、勿論、俺だ。

相方が残業で、晩御飯を作れないというので、家の近所で食事を摂る事にした。家の近所は食事の選択肢があまりない。ファミレスか、ステーキハウス、ラーメン屋、吉野家くらい。蕎麦屋も近くにあるが、早い時間に閉まってしまう。
相方は「野菜を摂らないと死んでしまう教」の信者なので、ファミレスに行くと必ずサラダを注文する。俺からすると、そんなちょっとの量によく判らないドレッシングの掛かったサラダなんか摂って意味あるのかなーといつも思っている。言うと「無いよりマシでしょ!」と反論されるのは火を見るより明らかなので、口は挟まないが。
相方がサラダの皿を俺のほうに押しやって「残り食べて」と言う。俺がふーんといった顔をしていると、「こんな少しでもサラダ摂ったほうがいいんだよ。カップラーメンばかり食べてると、また蕁麻疹出ちゃうよ」と言う。何のこと?と問うと「昔、腕とかに蕁麻疹出て、よく掻いてたじゃない。今は治ったけど、また出来ちゃうよ」と言う。
「そーだっけかぁ」と俺が首を捻っていると、相方が忘れたの?とさらに訊いてくる。思い出した。確かに昔、腕とか痒くてよく掻いてたな。でも、それって相方と付き合い出した頃の話じゃないだろうか。もう13年以上前の話だぞ。
「腕に蕁麻疹とか出来ても、別にいいんじゃね」と俺が言うと、相方が心底驚いたように言う。「自分の身体なのに、執着心とか拘りないの?」
「んー、別にないなぁ」俺の返答にさらに相方は驚いた顔をして、しみじみと言った。
「不思議な人だねえ…」
この場合の「不思議な人」というのは、「理解出来ない人」という意味だ。相方からすると、俺は自分の身体の健康にも興味がなく、洋服にも感心を示さず、食い物にも拘りといったものが一切なく、一体何が楽しくて生きてるんだろうか、くらいに変わった人に見えるということだ。確かにそうかもしれない。
特に食い物に関する興味の無さは自分でも呆れるほどだ。俺はラーメンと蕎麦が好きなので、正直これさえ喰っていれば、他には特に要らないという人間だ。昼飯は殆ど醤油ラーメン、かしわ蕎麦、味噌ラーメンのローテーションだ。白いご飯はまず食べない。どうせ晩御飯で食えるから良いだろうという考えだ(これは札幌時代の昼食ね)。

俺は相方に言う。
「知り合って何年になるんだよ。付き合い始めて半年とかでその感想なら判らなくもないけど」
「半年じゃ判らないって。もしかしてこの人ってそうなのかなとかって思って、そしてこの十数年でそれがやっと確信に変わったんだよ。人なんて、そんな簡単に判るものじゃないでしょ」
そうかもしれない。俺だって相方の考えている事なんて半分も判らない。というか彼女が何を考えているかを推し量れることなど、殆どないと言っても良いかもしれない。精々判っていることは、俺が酒を飲むことを相方が死ぬほど嫌っているという一点だけだ。
俺は人が何を考えているのかを理解するのは無理だと思っている。無駄だとは思ってない、無理だと思っているのだ。
だって、そうだろう。俺は自分自身が何を考えているのかも時々判らなくなるのだ。その俺が、人様の考えや気持ちの有り様を理解出来る筈がない。

昔、「何考えてるの?」が口癖の女性と交際していた時期があった。部屋で一緒に過ごしている。俺が何も言わずに黙っていると、「ねえねえ、何考えてるの?」と必ず訊いてきた。三分くらい黙っていると、彼女は必ず「何考えてるの?」と尋ねてきた。想像だけれども、俺が無言でいると彼女としては不安になったのではないか。私と一緒にいたら詰まらないのかなとか、他の女の人のこと考えているのかな、と。これも俺の想像でしかないのだが。
或る日、やはり彼女に「何考えてるの?」と訊かれたので答えた。
「ちょっと無言でいるとさ、お前はすぐに何考えてるの?って訊いてくるだろ。だから、俺が無言でいると、お前が訊いてくるだろうなぁって想像して、それで一体俺は何考えてるんだろう、って考えてたの」
なんだか判じ物みたいな答えである。それを聴いた彼女は大笑いして言った。
「じゃ、もう何考えてるの?って言わないようにするね」

人が何を考えているか、何を求めているかなんて判る筈がない。判ったと思えるとしたら、それは傲慢だ。むしろ判らなくて良いのだ。判らない、理解出来ないということを前提にしておけば、心が折れることも挫けることもない。そこから始めれば良い。
「貴方のことを判りたい」と思う気持ち、それだけがあれば良い。その気持ちがあれば、相手に優しく誠実になれるし、相手を大切に思うことも出来る。