Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

久しぶりの帰省

この週末を使って、実家のある群馬県前橋市に帰って来た。札幌から東京に戻って、群馬に帰り易くなったというのも大きい。また、オヤジは正直言ってあまり先がないので、元気なうちに顔を見ておこうという腹積もりだ(オヤジももう80歳だから)。

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札幌から群馬に一度帰った事があるのだが、本当に冗談抜きで半日の行程だったので、あれは大変だった。と言っても、東京からでも結構面倒なんだけれども。東京駅から新幹線で高崎まで出る。これは50分程度だから、問題ない。その後、高崎から前橋まで在来線を使うのだけれども、これが平気で30分待ちとか。東京や札幌の5分も待てば電車が来る生活に慣れていると、30分待ちとかは衝撃でしかない。

土曜の昼に東京駅まで出て新幹線。この時期なら自由席でもガラガラなのが助かる。缶チューハイを三本程買って乗り込む。窓際の席で缶チューハイを飲んで良い気持ちになっていると、あっという間に高崎駅に到着した…のだが、俺は寝ていた。あははは。起きたら、越後湯沢だった。さすがに新幹線で乗り過ごしたのは人生初だ。そこからまた新幹線で高崎まで戻った。ま、実家に帰るのだから、多少遅刻しても大丈夫なのが良い。

高崎駅から在来線に乗り換える。ここで電車が上述した通り、30分待ち。電車は既にホームに来ているので、席に座って出発を待つ。タレントの渡辺直美さんにそっくりの女子高生が友達と大きな声でお喋りをしている。田舎だなー、ちょっと微笑ましくなった。

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前橋駅に到着。駅からは今度はタクシーだ。タクシーで大体2,300円くらい掛かる距離。そういえば、高校生の頃、前橋駅から実家まで二時間くらい掛けて歩いた事があったな。あれは若さがあったから出来たことだ。今は10万円貰っても、徒歩で帰ろうとは思わない。

実家に帰り、久しぶりに両親の顔を見る。オヤジは先がないと書いたが、自宅療養の形を取っているので、入院しているのではない。もはや、先の見えた人生を、病室で過ごすこともない。慣れ親しんだ自分の家で最後を迎えるのが一番良い形なんだろうと思う。
相方から「ちゃんとお土産買ってね」と念を押されていたから、東京駅で買っておいた紅茶と煎餅を渡す。本当は年寄だから、煎茶とかのほうが良いのは判っていたんだけど、売ってなかったんだよね。

オヤジが80歳で、お袋が76歳。正直言って、お袋はともかく、よくオヤジはこの歳まで生きたなあと思う。これは本人にも言った。というのも、28年くらい前、俺がサラリーマンになってすぐの頃、オヤジが倒れた事があるのだ。その時、お袋から「先生に覚悟してくれって言われた」と電話越しに言われたのだ。当時、まだ妹は高校生だったし、「俺が群馬帰らなきゃ駄目なのかなぁ」と色々考えた事があったからだ。何故か、その後オヤジは持ち直し、この歳まで生きている。だから、御の字なんだと思う。

とりあえず、東京に戻った報告をする。そして相方はまだ札幌を離れられない状況も併せて報告。こういった事は年寄は電話ですると、理解出来ないから、直接面と向かってしないと駄目なのだ。うちの親の世代なんて、妻が亭主についていかない状況があることなんて理解するのが難しいから。
お袋が、手作りの餃子を出してくれる。うちの餃子は、キャベツを入れないのだ。ガキの頃から、俺はずっと「うちの餃子って固くて、不味いよなあ」と思っていた。それは二人にも言った。「なんでキャベツ入れないの?」と訊くと、そういうもんだからとの答え。ま、ある意味、これが家庭の味って奴か。久しぶりに食べて懐かしかったけれど、正直感想は子供の頃と変わらない。「固くて不味い餃子だな」である。オヤジとお袋が美味いと思っているのなら、それはそれで良い。

酒を飲みながら(オヤジも酒を飲んでいるのだ。それにしても凄い人だな)、色々と話をした。うちの実家は持ち家で土地もそれなりにあるんだけれども(群馬の片田舎だから、二束三文でしか売れないだろうけれども)、オヤジとお袋が棺桶に入ったら、土地や家は妹にやれよ、と。
「お前、要らないのか?」とオヤジに問われたので答える。
「長男の義務も果たしてないのに、権利だけ呉れなんて言えるかよ。それに俺はオヤジの兄弟が遺産絡みで骨肉の争いをしているのをガキの頃に見て来たからな。あんな醜い争いを、俺は妹としたくない。そんな事するくらいなら、年寄になった時に、上野公園でホームレスになったほうがマシだよ」
俺には実弟もいるのだが、遺産絡みでは俺か妹となるので(これは俺の家の特殊な状況の為、そうなっている)、俺は「妹に全部やってくれ」と念を押した。
それから、色々と酒を飲みながら話をしたが、それはまあいつもの事だ。大事なのは、俺がオヤジとお袋の顔を見ることで、そして両親が長男である息子の俺の顔を見る事だろう。
お袋が「あら、やだ。お父さん、お兄ちゃん、髭に白髪が混じってるよ」
お袋は、俺の事をずっと「お兄ちゃん」と呼ぶ。オヤジも俺の事を「お兄ぃ」と呼ぶ。ま、これは長年の習慣だから、変わりようがない。長男の方って、やっぱり親からそう呼ばれてますか?
お袋からしたら、俺はいつまでも19歳(家を出た時の年齢)なのかもしれない。もう、51歳のおじさんなのにな。髪も薄くなり、白髪交じりなのに、その意識は永遠に変わらないのだろう。それが親と子というものなのだろう。

翌日は、朝の九時半に家を出た。タクシーを呼んで貰えば楽だったが、せっかくなので市バスで駅まで行くことにした。高校生くらいまではよく使っていたからだ。群馬の市バスに乗るのは、きっとこれが最後の機会だろう。そう思ったからだ。田んぼに囲まれた道を歩きながら、「実家はいつまでも変わらないなあ」と思いながら。

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俺は19歳の時に群馬を離れ、そこからずっと別の土地で生きて来た。30年以上、故郷とは無縁だった(無論、時々帰省はしていたけれども)。歳喰っても、群馬に帰る事はないだろう。オヤジが逝ってしまって、お袋一人になっても、群馬には色々な状況から帰れない。そこは親不孝だなあとは思うけれども、これが俺の人生である。そして、それは両親も理解している。

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とりあえず、俺がやらなくちゃいけないことは、オヤジやお袋よりも先に死なない事だ。少なくとも、それだけは守らないとな。歳を喰うと色々考えるけれども、実際に出来る事って、あまりない。