Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

Crazy Mama

f:id:somewereborntosingtheblues:20190618235216j:plain

晩飯を買いに行こうと、アパート近くの百均ローソンに向かった。その時のことだ。30代くらいに感じられる女性の甲高い声がした。
「ちょっと、何勝手にしてんだよ!」「誰がそんな事していいって言ったんだよ?」怒声だった。

声のほうに目を向けると、年齢不詳(声の感じからして、30代半ばくらいか)の女性がランドセルを背負った男の子二人に怒鳴っていた。ああ、母親と息子達か。
そして母親は子供達を置いて歩き出した。ランドセルの男の子二人は、母親の後を追う。交差点に差し掛かっても、彼女は振り返る事もしない。おいおい、子供達の安全確認しねえのかよ。俺は愕然とした。

ネットとかでよく、自分の子供に乱暴な言葉遣いをする母親の話を見る。だが、さすがに現実にそういった場面に遭遇したのは初めてだった。暗澹たる気持ちになった。
全くの赤の他人である俺ですら、彼女の発言を聴いて物凄く嫌な気分になったのだ。実際に怒声を浴びせられた子供達当人の気持ちを慮ると、絶望しかなかった。
まだ小学生(多分低学年)の子が自分の母親から、あんな酷い言葉を投げつけられたら、どれだけ傷つくだろうか。俺があの小学生だったら、とても耐えられない。

俺は嫌な気分になりながら、自分の母親の事を考えた。俺のお袋は、あまり人に褒められるような人間ではないが、少なくとも、あんな汚い言葉遣いを俺や弟妹達にしたことはなかった。その程度の常識はあった。自分の子供だからといって、汚い乱暴な言葉を発してよい筈がない。そんなものが良い影響を子供に与える筈がない。そんなことは考えなくても判りそうなものだ。というか、そんな簡単なことすら思い浮かばないのだろうか。
俺は(父親方の)叔母の事をついで思い出した。叔母も非常に言葉遣いが汚い人だった。子供の頃、俺は叔母と一緒の場にいるのが大嫌いだった。叔母の汚い言葉遣いを聴くのに耐えられなかったからだ。
叔母は、人の悪口を言うのが三度の飯より大好きで、言葉もまるで男性であるかのように乱暴だった。

俺は女性芸能人では、和田アキ子さんが嫌いなんだけれども、嫌いな理由は彼女の言葉遣いが汚いからだ。自分よりも年下の男性タレントに向かって平気で「お前なぁ」などと言う。あれが嫌いなのだ。ハッキリ言って品がない。
女性はいつでも「***ですわ」とか「***であると思います」などの昭和の言葉遣いをしろとは思っていない。だが、これは男女差別でも何でもないが、女性の強み(魅力)の一つが、男性が持ちえない、柔らかな空気を醸し出す丸みを帯びた言葉の使い方だと思う。
だから、それを自ら放棄するような、俺の叔母や和田アキ子さんが苦手というよりも嫌いなのだ。

そして、さらに思うのが、ああいった乱暴な言葉遣いの母親に育てられた男の子達が、思春期を迎えた時に、果たして綺麗な日本語を使えるようになるだろうか。
きっと母親譲りの汚い乱暴な言葉しか遣えず、粗暴な少年になっていくのではないだろうか。無論、親しい友人との場合には、くだけた乱暴な会話をしてもそれは構わない。だが、子供の頃からそういった乱暴な会話しか家族の中でしていなければ、ケースバイケースで言葉の取捨選択をする事が出来なくなる。
言霊というのは非常に大事なもので、粗野で人を傷つけるような言葉を、何の考えも無しに普段から使っていると、考え方も必然とそうなっていく。人の気持ちを思いやるという事をしなくなる。先ほどの母親がそうだ。交差点を渡る時に、後ろを歩いている自分の子供の安全確認に気が廻らない母親がいるだろうか。そして、その母親の言葉を毎日聴いている男の子達も、必然そうなっていく(可能性が高くなる)。

言葉というのは、時としてナイフよりも深く鋭く、人を傷つけるのだ。そしてそれはいつか自分に必ず返って来る。自分に返って来た時に、その痛みを自覚しても、既に手遅れの場合が多い。あの母親がそうならない事を願う。母親の為じゃなく、あの可哀想な男の子二人の為に。