Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

さよなら、札幌

f:id:somewereborntosingtheblues:20190507221307j:plain

f:id:somewereborntosingtheblues:20190507221331j:plain

(家から徒歩5分で、この景色に遭遇出来る。手稲山。まだ雪が残っている)

札幌に来たのが、2016年12月。札幌で約二年半暮らした計算になる。
そして、今年の6月で、札幌を離れる事になった。また、東京に戻る。東京に行ったら、札幌に(仕事で)戻ることはまず99%ないだろう。
思ったよりも、短い札幌生活となってしまった。人生というのは、本当に判らないものだ。

2016年8月、俺は東京でフリーランサーとして働いていた。俺の仕事はシステムエンジニア。当時、某保険会社のシステムの設計をやっていた。フリーなので当然、下請けの立場。仕事自体は結構面白かったのだが、下請けの悲しい宿命で、色々な想定外の仕事もやらされた。また、同時期に現場に入ったAさん(この人もフリー)は、発注元の社員と馬が合わず、二ヶ月で契約を解除されたりしていた。フリーだとこういった目に遭う人は少なからずいる。

当時俺は49歳。フリーになる前に、18年働いていた会社は潰れていた。今更正社員の道があるとも思えず(年寄りを雇ってくれる会社なんてそうあるもんじゃない)、フリーでやっていくしかないと思って覚悟を決めた。フリーは会社員に比べて、目先の収入は多い。単純な数字上の年収で言えば結構貰える。だが保証がないし、前述のAさんみたいにいきなり契約を切られれば、明日から路頭に迷う。

そんな時、相方の知人のエージェントから仕事の案内が来た。最初はプロジェクト参加の案件かと思ったら、とある会社の正社員募集の呼びかけだった。内容を確認してみると、俺の経歴と会社の求めるニーズが面白いくらいに合致していた。
例えるなら、「和食経験のある料理人募集。板長として働いて貰いたい」に対して、俺のキャリアが「18年程度の板前としての経験あり。調理長として8年程度勤めていた」みたいな感じだ。今思い出しても、よくあそこまで互いのニーズが合致したなあと不思議でならない。
問題は勤務地が札幌だったということ。正直言って、俺はあまり乗り気じゃなかった。確かに正社員の立場を貰えるのは有り難かったが、長年住みなれた東京を離れてまで札幌に行く価値あるのかなぁと。当時はフリーという不安定な立場だったが、仕事もあったし、それなりに悪くなかった。ただ、相方の知人の紹介ということもあり、面接だけは受けてみるか(損はないか)といった程度の軽い気分。実は受かるとは思っていなかった。理由として、俺が歳を喰いすぎているからだ。
面接を受けてみると、感触は悪くなかった。二次面接では、既に採用が確定しているかのような口ぶりだった。面接途中で「札幌といっても、都会ですから、東京と変わりません。採用決まったら、まず靴買って下さい。雪で滑りますから」と言われた。それ、もう殆ど決まりじゃねーかと思ったのはここだけの秘密だ。

それから程なくして、採用通知が届いた。相方とどうするか話し合った。といっても、実はあまりたいした話はしなかった。俺は「どうせ採用されないだろう」と思って面接を受けていた部分がある。それに、受かったにしても、相方が賛成してくれなければ、札幌に行くことはない。何度か書いているが、相方は東京生まれの東京育ち。札幌に引っ越すまで、東京でずっと暮らしてきたのだ。彼女が賛成するとは思われなかった。が、相方は「札幌に行くべきだ」と強く主張した。「東京でずっと暮らすフリーランサー」と「札幌での正社員」を天秤に掛けて、正社員が勝ったという事だった。相方は何度も「50過ぎたら、(フリーには)仕事なんかないよ!」と言っていた。これはある意味正しく、別の意味で間違っている。実力と運があれば、50歳過ぎてもフリーで充分にやっていける。また、仕事を選ばなければ、いくらでも仕事はある。但し、契約単価をダンピングされたり、人間関係が最悪だったりもする。この辺りは賭けに近い。

俺が札幌に来る事を決めた最大の理由はなんだったのだろう。保証された正社員の立場だろうか、それともフリーランサーでやっていくことへの恐れだったのか。ちょっと思い出せない。実は一番納得出来る自分自身への答えは「なんとなく」だったような気がする。あまり深く考えず、「せっかくのチャンスだから、札幌行ってみるか」程度の。いい歳した大人の対応とは思われないが、それ以外の明確な理由が思い浮かばない。

会社に入社の意志を伝え、入社日を決めた。そこから、働いていた現場に抜けることを伝え、引越しの準備をした。10月の半ばの土日を使って、部屋の下見。不動産屋に行って店長に「例え気に入った部屋がなくても、絶対にこの土日で必ず決めますんで」と伝えた。店長の好意で、10部屋以上を見て回った。あの時は札幌の地理が全く判っていなかったので、希望の沿線も何も無し。条件は家賃の上限、部屋の広さ、駅からの徒歩の時間だけ。俺は札幌ドームまで徒歩5分の部屋が良かったのだが、相方が「この部屋のキッチンのIHが気に食わない。これだと料理するテンションが上がらない」と否定。結局、俺と相方で「この部屋が良いんじゃない?」と選んだ部屋に決めた。地名に「寒」という字が入っていて、これぞ札幌(北国)だなあと実感した。というか、寒いのは判りきってるんだから、せめて名称だけでも、暖かさを感じさせる字を当てればよいのになと思うのだが。

相方は「今の会社でやっている仕事もあるし、すぐには辞められない」と言う。4ヶ月間は、札幌での一人暮らしだ。12月から3月までの冬の時期、俺は一人で札幌で暮らした。あの時期はなかなか辛かった。一人暮らしが辛かったんじゃない。友人知人もおらず、冬の札幌の寒さにやられ、やる事もなく時間を持て余していたのが辛かった。あの時は、まだサックスは再開していなかったし、唯一の心の拠り所が、40代最後の歳にして始めたピアノだった。土曜日の午前中に洗濯を済ませ、部屋の掃除をやると、やる事がなくなった。相方が来る前に、マンションをごみ屋敷にする訳にはいかないという、一種の使命感からのみ掃除をやっていた。冬の寒さが厳しくて、まだバンドをやろうという発想すらも浮かばなかったし、あの時はドラムをもう一度叩くという考えもなかった。やはり、初めての地に慣れるまでは時間が掛かるものなのだ。

春が来て、相方が札幌にやってきて、やっとまともな生活が始まった気がした。この頃にサックスも再開し、ネットのバンドメンバー募集サイトに目をやる余裕も生まれた。メンバー募集にはいくつ応募したんだっけかな。実際に会った人は4人か。最初の3人とは色々な面が折り合わず、バンド加入まで至らず。4人目に会った人とバンドを始めた(歌謡曲のカバーバンド)。このバンドも数ヶ月で瓦解した。上手くいくと思ったんだけれども、バンドも恋愛と同じで、ひょんなことが切っ掛けで全てが駄目になっていく。だが、その後二つのバンドに違う楽器(ギター、ドラム)で参加出来たのだから、バンド活動に関しては上出来だったと言うべきだろう。
この頃、仕事が想定外のほうに進み、俺の予定が色々な意味で変わった。前述の例えで言うと、俺はレストランの和食部門に配属になったようなものだ。そこのメンバーはいずれも若く、ベテランが必要とされていたのだ。「ああ、俺がこの和食部門のリーダーとなって、盛り立てていくのだな」と意識していた。だから、札幌で働く必要があったのだ、と。俺は、残りのサラリーマン人生を札幌で過ごすという覚悟みたいなものを自然と持つようになった。残り約10年、札幌で過ごすのだろうと。ところが、さにあらん。和食部門(あくまで例え)が閉鎖されることになった。まさか札幌に来て半年で和食チームが解散に追いやられるとは想像だにしなかった。会社もそれは想定してなかっただろうけれど。俺は洋食部門に配置換えとなった。俺は洋食に関しては全くの未経験だ。俺の腕を活かせる和食部門がないのだから、洋食で頑張るしかない。2年ほど、そうやって下積み的に働いていると(それでも、立場上、俺はリーダーだったのだが)、今度は予算削減の話が出て来た。それが今年の2月くらいの話。上司から「外すメンバーを考えておいてくれ」と打診を受ける。ま、仕方ない、B君とC君に抜けて貰うかと算段をしていると、上司に呼び出された。
「悪いが、君が抜けてくれ」
青天の霹靂という言葉があるが、こういった時に使う言葉であるな、正しく。まさかリーダーの俺が切られるとは思わなかった。だが、会社のコスト管理という点からいくと、それも致し方ない。正直、洋食部門の仕事は面白くなかったので(やはり俺は和食部門の仕事がやりたかったから)、そのプロジェクトを抜けることに関しては痛痒も感じなかった。
プロジェクトを抜けるのは良いが、問題は次の仕事だ。こういった時、正社員というのは有り難いなと思う。フリーだったら、プロジェクトから抜ける=無職を意味する。だが、正社員だから、プロジェクトを外されても、給料は保証されるし、次の仕事も会社が見つけてくれる。

上司と次の仕事に関しての面談をしたら、あっさりと言われた。
「君に合う仕事は札幌にはない。東京で探します」
それはある程度は予想出来たことだった。そもそも、俺がこの会社に採用された時の「和食の経験者」という条件にぴったり合致していたのが、このプロジェクトだったのだ。だから、このプロジェクトを抜ける時点で、他に合う仕事が札幌にあることは考え難い。というよりも、和食部門が閉鎖された時点で、既に色々な計画や想定が全て狂って行ったという、当たり前の話に行き着く。
4月上旬に「東京に行け」と言われて、東京のプロジェクト担当のマネージャー的な立場の人と面談をしたのが、4月下旬。そして東京に行く事が決まった。順当に行けば、6月から赴任となる。
多分、5月中に東京に出向いて、東京での部屋探しをすることになるだろう。東京は知った場所だから、札幌での部屋探しみたいに「どこで探せばいいの?」みたいな状況じゃないのが、唯一の救いだけれども。

相方に「東京に戻ることになりそうだ」と伝えると、相方は深いため息をついた。
「札幌に来た最初の一年、本当に毎日東京に帰りたくて仕方なかった。辛くて、辛くて。やっと仕事も本格的にやる準備が整って、さあ札幌でやっていくか!ってなったら、そうなるの?」
無論、相方は俺を責めている訳じゃない。単なる愚痴だ。だが、相方がホームシックになったのも知っているし、東京に戻りたくて仕方ない相方の気持ちも判る。タイミングが良くなかった。
相方が東京時代に勤めていた会社の支社がこの1月に札幌で出来たのだ。当然、相方はオープニングスタッフとして採用された。相方もこれで、札幌の地に足をつけてやっていける、そう思ってからまだ半年も経っていない。
「去年のうちに(東京に戻ることが)判っていたら、前のパートのままで辛抱してたのになぁ…」相方が言う。それもそうだ。だが、俺だって去年どころか、今年の4月までは自分が東京に戻る可能性があるなんて、想像すらしていなかった。
「私、来年の夏くらいまでは東京戻れないよ。今の札幌支社の仕事である程度の成果出さないと、東京帰った時に、会社(東京本社)に受け入れて貰えない」
そりゃそうだ。俺も出来損ないとは言え、社会人として会社員として長く生きてきた。相方の言いたいことの意味は判る。
「じゃ、また別居暮らしだなあ」
俺がまず札幌に来て、相方は東京に残った。そして俺が東京に行くと、今度は相方が札幌に残る。上手くいかないもんだな。
前回の別居期間は4ヶ月だった。これは最初からの予定通り。今回はちょっとどれだけ別居するかも判らない。ただ、最低限として来年の夏まで相方は札幌にいる、ということだ。となると、きっと別居期間は一年半くらいになるだろう。

2016年12月、札幌で暮らし始めた。あの時、将来どうなるかなんて未来予想図は何も描けていなかった。そして何も描かないまま、2019年6月、東京に戻ることになる。
人生なんて波乱万丈、思った通りに進むことなんて何一つない。でも、それをネガティヴに捉えていても栓の無いことだ。無駄にポジティヴに考えるのも性に合わない。
なるようにしかならない。そう考えて進んでみることにしよう。確か、同じようなことを札幌に来た時も思った気がするけれども…