Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

恰好良いジジイになりたい

街を歩いていると、自分よりも歳を取った人に遭遇する事がままあるんだけれども、その時に思うのが「みんな、しょぼくれてんなー」である。そりゃ、俺の人生の先輩達だから、年齢も結構いっている。それで若々しくいろというのは無理があるかもしれない。
俺自身も当然のことながら、若い頃に比べて色々な意味でポンコツ化してきてはいる。それは認めざるを得ない。見た目もそうだし内面もだ。今更この歳になって「若く見られたい」とかは思わない。若く見られる事に重きを置いても仕方ないというか。
これから日々、俺は歳を喰ってジジイになっていくばかりなのだけれども、そこで思うのが「格好良いジジイになりたい」という事だ。
俺の理想とする爺様は、これはキース・リチャーズローリングストーンズのギタリスト)である。キースもかなりのおじいさんなので、顔も皺だらけだし、髪もだいぶに後退している。それでも格好良い。これはファンの身贔屓的な部分がある事も否定出来ないけれど、やはり無条件で格好良いのである。
キースがお洒落な服を着ているとか、そういった事は一切ない。彼は若い頃と同じようなロックンローラーな出で立ちのままだ。小汚い革ジャンや皺くちゃなTシャツに、黒系統のスリムパンツとかが多い。一歩間違えると「痛い人」である。だが、逆に考えて貰いたい。70過ぎて、20代の頃と同じようなファッションに身を包める人がどれだけいるだろうか。

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20代の頃、ローリングストーンズのカバーバンドを学生時代の仲間とやっていた。よくありがちな「青春の一頁」という奴だ。バンドが解散して結構経ってから、メンバーで集合した事がある。この時、既にメンバーはみな、30代半ば過ぎになっていた。驚いたのが、メンバーのファッションが20代の頃と殆ど変わっていなかったという事だ。これは全員が「俺たちゃ、ロッカーだぜ」と粋がっていたのではない。どちらかというと、メンバーの中にファッションに拘っていた奴がいなかったというほうが正解だ。
俺なんかがその最たるもので、服装は20代の頃から殆ど変わっていない。服装に対する好みが非常に偏っているので、変化させようにも変化させられないというだけだ。相方は着道楽なので、年中洋服を替えている。ま、女性というのはそういうものかもしれないが。

まだ東京にいた頃の話だが、Deep Purpleという往年のロックバンドのライブを武道館まで観に行った事がある。観客の殆どが俺と同世代で「ロックキッズの成れの果て」みたいな人が多かった。無論、俺もその成れの果ての一人。中にはすっかりビール腹で、髪が落ち武者状態、ポロシャツにチノパンというおっさんの見本みたいな人もいれば、若い頃と同じように、革ジャンにシルバーアクセサリーをジャラジャラさせて、髪を肩まで伸ばしている「俺は未だに現役だぜ!」という人もいた。
確かに格好良くあり続けるには、ファッション(服装)も大事だ。だが、それだけじゃないだろう。大事なのはスピリッツではないだろうか。俺は世間一般で言えば、もう完璧におっちゃんだが(さすがにおじいさん扱いはもう暫く待って欲しい)、格好良くありたいと思っている。

ここで大事なのが、変に若ぶって「まだまだ40代や30代には負けねーぜ」と無意味な対抗意識を燃やすことじゃない(30代未満は明らかに不戦敗なので対象外)。どうやっても若い世代に勝てる訳がないのだ。そもそも、競う相手が違う。
俺達おっちゃん世代が戦うべき相手は「格好良くありたいと思う気持ちを否定する自分」だ。俺は今更若い女性にもてたいとは思わない(そもそも若い頃から、年上の女性が好きだったというのもあるが)。だから、俺は同世代の女性から「あら、格好良いおじさんじゃん」と言われるようになりたいのだ。元々の顔の作りは若さ関係なく駄目だから、それ以外の部分だ。顔に皺が増え、髪が少なくなっても格好良いジジイは格好良いのだ。どうやったら格好良くなれるか、それは、自分の好きな事に邁進して若い頃と同じように夢中になれるものを持っているかどうかだと思う。と、こういう事を書いている時点で、完全におっちゃんな訳だが、どう否定しようがおっちゃんはおっちゃんだ。気にする必要はない。

要するに、俺の定義する「格好良いジジイ」とは、「いくつになっても好きな事を遣り続けているジジイ」という事だ。歳喰って終活するのもいいかもしれない。心穏やかに静かに人生の終わりを迎えるのも有りかもしれない。だが、俺はそんなのは御免だ。棺桶の中に入れば、時間はいくらでもある。ゆっくりしたければ、棺桶の中でたっぷりと時間を使えばいい。
時間は有限だ。俺は自分が一番楽しいと思えることをやって、そして棺桶に入らせて貰う。
なので、ブルースピアノ弾いていると、滅茶苦茶楽しいです。
と、またお得意の最後の一行だけで済む話を延々と書いてしまった。