Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

泣きっ面のニューフェイス

f:id:somewereborntosingtheblues:20190413013242j:plain

夜の8時。
仕事の帰り。
地下鉄に乗り込んだ。
運良く席が空いていた。座れる。
お気に入りのビル・エバンスを聴きながら、ほっと一息ついた。

俺の正面に女性が座っているのが見えた。歳は若い。20代前半だろうか。顔が滅茶苦茶小さい。芸能人の佐々木希さんに似た感じの顔立ち。つまり、相当の美人。服装が黒の没個性なスーツに白のブラウス。黒く長い髪も後ろで束ねている。ということは、新人OLなのだろう。せっかくの美人だが、残念ながら顔に精気がなかった。青白い顔をしていて、どこを見るでもなく視線が宙を彷徨っている。
疲れているのだな、俺は思った。彼女が新人OLなら(多分そうだ)、入社してまだ二週間足らず。きっと研修真っ最中。まだ学生気分も抜けていないし、学生時代の楽しい時間の過ごし方から脱却もしていない。慣れない仕事、慣れない会社の人間関係、慣れない社会人であるという状態。今日は金曜日だ。一週間の辛抱してきた様々な疲れが全て積もっている。彼女の疲れ切った表情はそれらが原因だろう。きっと笑えばかなり魅力的な女の子だと思う。残念ながら彼女の表情に笑みはないし、安らいでいるようにも見えない。多分、想定していないような苦労や困難に面しているのだ。
「まだ研修中でしょ。そんな新人が苦労するような事なんかある筈がない」と言える人は、想像力が足りない。というか、人の痛みが判らない人だ。
どんな立場であろうと、どんな状況であろうと辛い場面に直面する事はある。また、他の人にしたら取るに足らないような事でも当人にとっては一大事だったりもする。だから自分の尺度で人の痛みを計ってはいけない。

こういった時、大人達は偉そうに新社会人に説教したり、訓示めいたものを与えようとしたりする。社会人としての心得とか、会社での立ち振る舞いのイロハとか。俺は絶対にしないけれど。そんなものは、年寄に言われなくても、若者は経験を積む事によって覚えていく。年寄がしたり顔で言う必要はどこにもない。そもそも、社会人の先輩の意見やアドバイスなんて、何の役にも立たない。だから、そんなものに耳を傾ける必要はない。
慣れない仕事で辛い事があったら、偉そうに振舞う上司や先輩の言葉なんか忘れて、恋人に会いに行くとか、友人と美味いものを食べるとか、憧れの俳優の出ている映画やドラマを見る、好きなミュージシャンの音楽を聴くとかをしたほうが断然良い。そのほうがずっと心が休まる。

俺が新人だったのは遥か昔、25年以上も前。俺の仕事はソフトウエア技術者(プログラマシステムエンジニアと呼ばれる奴だ)だ。俺には上司が二人いた。OJT(現場研修)で西荻窪にある某社の現場に行かされ、そこで「君にはプログラムを二本作って貰う」と言われた。その命令をしたのは、杉田さんという上司だ。この人は小役人の見本みたいな人で、原則論を言うのが大好きだった。それに机上の空論、現実に則していないような理想論を話すのが好きだった。というより、そういった話しか出来なかった。彼の話す事にはリアリティが感じられず、大抵は誰かの受売りだった。だから、誰も傷つけないけれども、逆に誰も感動させる事も出来なかった。今でも覚えているが、杉田さんが「コンピュータの仕事ってのは景気に左右されない良い仕事なんだ。景気が良くなれば会社は設備投資するからシステムの仕事が増える。不景気になれば会社は人減らしをするから、システムに頼らざるを得なくなる。だからシステムの仕事が増える。どっちにしても仕事には困らない」俺に偉そうに語った。
深い考えも無しにこの職に就いた俺は「そういうものなのか。じゃ俺の選択は正解だったのだな」と思ったが、わずか半年後にバブル経済崩壊の余波が襲ってきて、会社は一気に傾いた。何が不景気の影響を受けねえだよ、見事に受けたじゃねえか。お前のご高説はどうせ日経コンピュータか何かからの受売りだろ!

もう一人の上司が吉川さんだった。俺が生まれて初めて作るプログラムに四苦八苦していると、吉川さんがモニターを覗き込んで、一分もしないうちに言った。「そこのインデックス間違えてるだろ。25じゃなくて24だろ」確認してみるとその通りだった。いくらベテランのプログラマーとは言え、俺のプログラムソース(プログラムの処理を記述しているもの)を見ていたのはほんの一分足らずだ。それで処理のおかしな部分を指摘出来る人はまずいない。贔屓目無しでも、吉川さんは一流のプログラマーだった。
昼食を摂っていると、吉川さんに「夜空いてる? 空いてたら飲みに行こう」と誘われた。その場には杉田さんもいた。だから三人で飲みに行くのかなと思ったら、夜になると杉田さんは先に帰ってしまった。吉川さんに訊くと「あの人、社員とは飲まないんだよ」と答えが返って来た。杉田さんは女性とは飲みに行くけど、若手男性社員と酒を飲みに行くことはなかった。俺は杉田さんに酒を奢って貰った事は一度もない。

吉川さんとはまず居酒屋で。酒を飲み始めて、暫くすると、吉川さんは俺に言った。
「残業なんかする奴は無能なんだよ。残業なんかしてちゃ駄目だよ」
これは、俺が社会人になって初めて先輩、上司から受けたアドバイスだ。アドバイスかな? だから今でもよく覚えている。逆に言うと25年以上この仕事をやっているけど、俺が上の人間から受けたアドバイスで覚えているのはこの台詞だけだ。
社会人になったばかりの俺は、残業とかして夜遅くまで仕事をするのが当たり前なのかと思っていた。仕事とはそういうものだ、と。吉川さんはそういった事を全否定した。だから、俺はその言葉を信じて「残業をするのを当たり前だと思わないようにしよう」と心に決めた。もっとも、その後色々な現場で鬼のように働かされて、残業しまくるのだが、それはまた別の話だ。

吉川さんとは仕事の話はあまりしなかった。くだらない、どうでもいいような雑談ばかりだった。当時俺が23歳、吉川さんが37歳。今思い出すと、二人とも(というか、一人は俺自身だが)若いな。吉川さんには、小学校6年生になる恵美ちゃんという娘さんがいた。
「恵美ちゃん、いくつっすか? 10歳? じゃ、あと10年経ったら結婚出来ますね。10年後、恵美ちゃんを俺に下さい」
「馬鹿野郎。お前に恵美やる訳ねーだろ」
吉川さんとは相性が良かったというか、その現場では、殆ど毎日のように飲みに行った。大抵ハシゴ酒だ。一軒目が居酒屋、二軒目がスナック、そして三軒目はグランドピアノの置いてある店(いわゆるキャバレー? 女性が席につく)。当然、俺の給料で払える訳がない(というか、いくらだったかも知らない)。
毎日毎日吉川さんと飲み歩いていたもんだから、仕事っていうのは定時に上がって酒を飲みに行くものだという、壮大な間違った認識を俺は持ってしまった。これが俺の20代、30代のサラリーマン人生を狂わせた。でも、その事に関して後悔はしていない。
吉川さんとの事で覚えていることは、酒を飲みに行ったことばかりだ。そして彼はちょっと男色の気があるのか、俺に向かって「お前はいい男だな」と酔っ払うといつも言っていた。俺も彼のことは嫌いじゃなかった。というか好きだった(俺はストレートである)。
後に会社が倒産したので、吉川さんと一緒に働ていたのは、6年くらいか。会社が無くなった後も、元社員みんなで集まってはよく飲んでいた。

俺が東京を離れ、札幌で働くと決めた時、送別会に吉川さんは来てくれた。吉川さんは60歳を超えて、髪もだいぶに寂しくなって腹も出ていた。新人だった頃、畏れ多くて、吉川さんと仕事の話なんか出来なかった。でも、送別会では対等に仕事に関して意見をぶつけ合えるようになっていた。それだけの経験を積んだからか。俺は吉川さんのような一流のプログラマーじゃない、三流だ。システムエンジニアとしては、多少マシで二流程度。それでも、なんとかこの業界で今でも働いている。それで充分だ。一流の称号がなくても、喰っていければそれで事足りる。

今日の電車の中で、辛い顔をしていた新人OLも、いつか新人じゃなくなる。そして先輩と呼ばれるようになり、上司となって部下を持つ身になるかもしれない。その時に、新人だった頃の思い出を懐かしく思える日が来ると良いのだけれど、苦い思い出としてではなく。
振り返る時に、過去は辛いものよりも楽しいものが多いほうが良い、絶対に。