Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

チュニジアの夜

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(モロッコ、エッサウイラ。2014年11月撮影)

ロッコの夜も素敵だが、チュニジアの夜も悪くない。などといきなり上段ぶった冗談から始めてみた。モロッコは行ったことがあるが、チュニジアは行ったことがない。一度行って、自分の目で「チュニジアの夜」を確かめてみたい。なんの事かと思われるかもしれないが、ジャズのスタンダードに「チュニジアの夜」という曲があるのだ。
どうでもいい情報なのだが、俺がこのBlogを始めた最大の理由は、モロッコに旅行する事が決まった時に『そうだ、それらをBlogに書いて記録しておこう』と思ったからである。本当にどうでもいい情報だ。

相方と知り合った時、既に俺はサックスは吹いていた。さすがにサックスでカルテットとかのバンド形態でサックスを吹く勇気とスキルがなかったので、「そのうちサックスとピアノのデュオとかやれるようになれればいいなあ」とぼんやり思っていた。相方が昔、ピアノをやっていた事を知り、「じゃあ、ピアノ弾いてよ。俺のサックスとデュオしない?」みたいに口説いて、そこから付き合い出した、とかだと格好良いけど、残念ながらそんな事実はない。
相方がピアノを弾ける情報を得たのが、まだ一緒になる前だったのか、それとも一緒になってからだったかも忘れてしまった。が、とにかく相方がピアノが弾けるのは判った。そこで俺は「じゃあ、俺のサックスとデュオしよう」と相方を誘った。相方は幼少期に親に言われてクラシックピアノを習ったので、典型的な「ピアノのレッスンが大嫌いだった」という人だ。いわゆる、レッスンで弾けないと先生に鬼のように叱られて、ピアノが嫌いになる、だから練習しない、レッスンで怒られる、以下無限ループという奴だ。子供の頃にピアノを習っていた人の話を聞くと、ほぼ100%、レッスンが嫌いだったという答えが返ってくる。世の中のピアノの先生(特に個人教室)は反省したほうがいい。

相方は「二度とクラシックピアノなんかやらない」と宣言していた。俺だって、相方にクラシックを弾かれても困る。そこで「ジャズやろうぜ」と誘い、相方をだまくらかして、ピアノ教室に通わせた。当時は相方もまだスペイン語は始めていなかったし、東京の東から西に引っ越してきたばかりだった。新しい居住地で友人知人を作りたいという事で、互いの利益が合致したのであった。
それから暫くして、俺のサックスと相方のピアノのデュオで発表会に出ることにした。やる曲は「モーニン」。これもジャズでは有名なスタンダード。二人で出演して、演奏もそれなりに上手く行った。俺のサックス教室仲間からの評判も良かった。これは念願のジャズのデュオが出来るな、俺は期待した。レパートリーを5曲くらい持てたら、ジャズバーとかライブハウスに行って演奏が出来ると夢想した。教室の発表会というのは、一曲しか演奏出来ないし、ジャズ好きばかりが集まる訳じゃない。せっかくサックスとピアノのデュオでジャズを演奏するのだ。だとしたらそれに適した場所で演奏したほうが楽しいじゃないか。夢は広がった。

よし、次だということで、選んだのが「チュニジアの夜」。これはサックスの難易度、ピアノの難易度とかを考慮して決めたのだ。勿論、俺達の希望もあるけど、サックスの先生、ピアノの先生がそれぞれ「貴方達の技術だと、丁度良いのがこれでしょう」みたいにアドバイスもあった筈だ。昔過ぎて詳細は忘れたけど。
チュニジアの夜」は残念ながら、「モーニン」ほど上手く行かなかった。俺も相方もそれぞれの出来が「可もなく不可もなく」。当然の話だが、二人合わせての出来が「可もなく不可もなく」なら悪くはない。だが、そうじゃない。それぞれが「可もなく不可もなく」という事は二人合わせての演奏は「それなりに酷い」という事になる。客観的に見て、俺の演奏のほうが酷かった。
相方は、そのデュオの失敗に懲りたのか、ピアノ教室を辞めて、別のジャズピアノ教室に通い始めた。これ以上、旦那の我侭には付き合いきれん、という事だろう。教室が変わってしまったので、発表会で共演するという形もなくなってしまった。そうこうしているうちに、相方のピアノ熱が冷めて、スペイン語習得欲が発生し、俺のデュオ作戦は完全に崩壊した。無念である。
ただ、そのお陰で相方の電子ピアノが空いて、今俺が電子ピアノを使っているので、結果オーライかもしれない。

こんな想い出話を書いていたら、あの「チュニジアの夜」の酷い演奏が脳裏に蘇ってきた。あれは失敗だった。選曲が悪かったとは思わない。失敗の原因は典型的な慢心だ。「モーニン」で上手くいったものだから、「チュニジアの夜」も上手くいくだろうと思い込んで、充分な練習を積まなかった俺が悪いのだ。人間、慢心が良い結果を生み出すことなどあり得無い。

よし、いつの日か、もう一度「チュニジアの夜」に挑戦しよう。その時はピアノは相方でなければ意味がない。ただ問題は、ピアノから足を洗った相方にどうやってもう一度ピアノを弾かせるかなのだが。そっちのほうが、「チュニジアの夜」の演奏を成功させるよりもよっぽど難しい。