Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

東京には空が無い、札幌には桜が無い

「東京には空が無い」と言ったのは智恵子だった。
「札幌には桜が無い」と言ったのは相方だ。

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(東京の友人が送ってくれた桜の画像)

ニュースが東京の桜の開花を伝えている。それを見て相方が「あー、東京帰りたいなぁ」と俺に聴こえるように呟く。多分、半分は俺に聞かせる為に言っている。
何度か書いているが、相方は東京生まれの東京育ち。ここ札幌に来るまで、40数年間、暮らした場所は東京だけ。それ以外の土地を知らない。俺と一緒になる前は東京の東側(埼玉寄り)で暮らしていた。俺と一緒になる事で、東京の西側(千葉寄り)に引っ越してきて、それだけで充分にカルチャーショックを受けていた。その人間が、遥か北の地、北海道札幌市で暮らし始めたのだ。それは東京が恋しくなっても仕方の無いところ。

相方はそもそも桜という花が大好きなのだ。東京にいた頃は3月終わりから4月の頭にかけて、毎年花見に行っていた。東京は桜には事欠かない。俺達が住んでいた東京江戸川区にも桜の名所がいくつかあった。千本桜公園(良い名前だ)が家から自転車で30分程のところにあったから、この季節は毎年のように見に行っていた。無論、札幌にも桜はある。だがソメイヨシノじゃない。こちらにあるのはエゾザクラと呼ばれる品種で、正直なところソメイヨシノに比べると格段に桜の美しさでは落ちる。

相方が「東京に帰りたい」というのは、「東京に行って桜を見たい」という意味と「札幌から東京に恒久的に戻りたい」という両方の意味が含まれている。確認した訳じゃないけど、それは間違いのないところだ。
東京でずっと暮らし、子供の頃からの友人がいて、実の母親が住んでいて、そういった帰巣本能をくすぐる要素がいくらでもある。
俺が札幌での就職を決めた時、相方も「長い人生、札幌で暮らすのも面白いかも」とは言っていた。だが、それはあくまでも東京以外で暮らした事のない人間が都合の良いイメージだけを思い描いて発した言葉だ。札幌は観光都市としてもメジャーだし、ある意味都会だ。そういった良いイメージだけを勝手に作り上げていたのだろう。
実際にそれまで長く住んでいた場所を離れて別の場所に暮らすとなると、色々な想定外の事が起きる。俺自身にしてもそうだ。東京との一番の違いは豪雪。そして東京はやはり世界に名だたるビッグシティだから、物量が札幌とは桁違いだ。札幌は日本四番目の大都市なのだから、東京に比べて遜色がないはずだが、それでもやはり違う。相撲で言えば、横綱と関脇の間には越えられない大きな一線があるだろう、そういった事だ(喩えが判りづらいか?)。
ことに相方は食い物とファッションに興味がある人間なので、「札幌はお洒落な店が全然ないなー」といつも愚痴っている。一年中、同じ服しか着ていない俺からすると、洋服屋なんかどーでもいいじゃんと思うが、彼女にしてみればそれは大きな要素なのだろう。食い物に関しては、さすがに魚介類は北海道の圧勝だが、それ以外が物足りないらしい。蕎麦とラーメンさえ食えりゃどうでもいい俺からすると、やはりその辺りに意識の違いはある。

相方は今でも「東京に帰る」と言う表現を使う、「東京に行く」ではなくて。住民票も札幌に移したが、相方にとっては札幌は未だに異邦の地なのであろう。もしかすると、ずっとそうなのかもしれない。俺にとって東京は「帰る場所」じゃなくて既に「行く場所」だ。だが、「帰りたい場所」「帰れる場所」がある人というのは、幸せかもしれない。アムロも言っていたではないか、「僕には帰れる場所があるんだ」と(ガンダムです)。
帰りたい場所というのはある意味その人にとっての原点なのかもしれない。そういった場所があれば、人は何かあっても立ち戻れる。翻って、俺はどうなのかと自問すると、帰れる場所、帰りたい場所がない。
俺は群馬県前橋市赤城山の麓で生まれ育った。高校を卒業して群馬を後にしたが、群馬に戻る意志はなかった。別に「もう二度とこんな場所には帰ってこねーぜ」と故郷を捨てたのではない。かといって「いつか俺は生まれ育ったこの場所に帰る」という何かを心に秘めていたのでもない。
何も考えずに群馬を出た。それだけだ。

札幌へは仕事(要するに食う為)が目的で来たから、死ぬまで札幌にいる訳じゃない。それに正直札幌の冬は老人には厳しい。だから、もっと歳喰って隠居する頃(果たして無事に隠居出来るのかという疑問はあるが)は、別の土地にいることだろう。
だが、きっと群馬には帰ることはない。かといって東京でもない。俺はもう戻れる場所を失ってしまった放浪者なのだ、きっと。
相方は今でも、東京時代の幼い頃からの友人達との繋がりがある。俺が札幌で知り合って仲良くさせてもらっている人達も、やはり10代の頃からの札幌の仲間と繋がっている。地元愛という奴なのだろうか。俺は10代の頃の友人達とはもう没交渉だ。生きているのか死んでいるのかすらも判らない。

札幌に来てから、やたらと俺が昔を懐かしむようになったのは、もしかすると、喪ってしまった、或いは手に入れることが出来なかった、戻れる場所、帰れる場所を俺が欲しているからなのかもしれない。

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(今朝の10時くらいの札幌。吹雪いている)

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(上の吹雪の写真撮影からわずか20分後。札幌の天候は変わりやすい)

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(職場のビルの廊下から撮った札幌。雪化粧の山が見える)

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(夜の7時半くらい。氷点下零度)