Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

ボヘミアン・ラプソディの功罪

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映画「ボヘミアン・ラプソディ」があそこまでヒットするとは思わなかった。無論、俺も見た。あそこまでの支持を得るとは思わなかった、というのが正直な感想。何故なら、クイーンもフレディ・マーキュリーも随分と昔の人/バンドというイメージだったからだ。
俺個人としては、特に他の人と大きく違った感想はないのだけれども、出来れば売れるまでをもっと描いて欲しかったかなあというのはある。バンドはやはり売れるまでの苦悩や軌跡が一番面白いところだと思うので。ちなみに一緒に観に行った相方は、映画の話をする度に「フレディ役の人、歯出過ぎ!」と言っていた。いや、だからあれは義歯使ってるんだよと何度も言ったのだが、「でも、出過ぎ!」と力説していた。よっぽど、フレディの出っ歯が気になったのだろう。
この映画に関しては個人的に特に思い入れとかはないのだけれども、ちょっとこの件から付随してある事に遭遇したので、その件について書いておく。

二月の中旬に、通っているピアノ教室で発表会があった。俺は去年の夏の発表会で大失敗したビートルズの「YESTERDAY」を再演奏して、それなりに満足した。当然、他の会員さんの演奏も聴くことになる。正直、俺はクラシックは全くの門外漢なので、クラシックの曲をやられるとちょっと「退屈だなー」と思ってしまう。逆にジャズのスタンダードとかやってくれる人がいると、それは楽しかったり。これは嗜好の問題だから、仕方ないと思う。発表会のプログラムを見たら、会員のAさん(俺はこの方と話をした事がない。全く知らない人)の演奏曲が「ボヘミアン・ラプソディ」だった。へえ、あれをピアノ一本でやるのか、どうアレンジするのかな、ギターソロの部分とか飛ばすのだろうか? と興味津々だった。この発表会では講師の考えで、演奏前に、奏者が一言二言、話をする。Aさんは映画を見てこの曲が好きになり、是非ともピアノで演奏したくなったのだと言う。
これは滅茶苦茶正しい楽曲の好きになり方(日本語変だが)だ。映画やドラマを見て、そこに流れている曲を好きになる。次にその曲を自分で演奏したくなる。この一連の流れには間然としたところがない。素晴らしいと思う。人事ながら、俺はAさんに最上級の拍手を贈りたい。実際に演奏も素晴らしかった。ちょっと素直にピアノでなぞり過ぎかなとは思うけれども、それは瑣末な事だ。大切なのは、「映画を見て初めて知った曲を好きになり、それを実際に自分で演奏した」という点だ。これはロックもジャズもクラシックも歌謡曲も関係ない。こういった点こそが、音楽の存在すべき意義だとすら思う。

さて、これで終われば、俺の中ではハッピーエンドで話が決着したのだが、残念ながらそれだけでは終わらなかった。Aさんの次に演奏するのがBさん(俺はこの人のことも全く知らない)だった。Bさんの演奏曲は「ラプソディ」。俺は知らなかったが、これはクラシックでは有名な組曲らしい。まあ、「ラプソディ」という単語を含んだタイトルの歌はいくらでもあるしね。俺が知ってるのは前述の「ボヘミアン・ラプソディ」と「ラプソディ・イン・ブルー」くらいだけれど。
で、やはりBさんも演奏前にスピーチをした。「私は映画が上映される前から【ラプソディ】をやろうと決めていました」ここまでは良い。ふむふむといった感じだった。この次の発言で俺は首を捻ってしまった。「正直言って、私は【ボヘミアン・ラプソディ】が嫌いです。映画がヒットしていい迷惑してます(私が演奏するラプソディは、ボヘミアン・ラプソディとは別物なんです!)」
客席(とは言っても、殆どが演奏者である会員さんばかり)からは笑いが起きたが、俺はちょっとカチンときてしまった。Bさんの前に演奏したAさん、及びAさんが選んだ曲に対して失礼過ぎるだろう、と。俺はAさんとBさんが知り合いなのか、凄く仲良しで何でも言いたい事が言い合える関係なのか、それとも全く付き合いのない間柄なのかは知らない。仮に滅茶苦茶仲が良くて、後でAさんが「Bさん、嫌いな曲やってごめんねー(笑)」みたいに言える仲だとしてもだ。その場にいる人で、クイーンや【ボヘミアン・ラプソディ】が大好きな人だっている可能性がある。あまりにも無神経でデリカシーの無い発言だなと思ってしまった。

自分が何かを好きな場合、それを人に熱意を持って伝えるのは何も悪いことじゃない。良い事だ。だが、だ。その場合に、他者を貶めて、自分の好きなものを持ち上げる手法というのは、非常に醜く、人に不愉快な感情を与えるだけだ。
何度も書いているけれども、俺は仲間由紀恵ちゃんのファンである。だから、好きな芸能人は? と問われたら「仲間由紀恵!」と答えるし、彼女の魅力を問われたら、いくらでも話せる(だいぶに主観が入るが)。俺がこの時に「仲間由紀恵は○○○が素晴らしいんだよ。それに比べて△△△っていう女優は駄目だね。由紀恵ちゃんと比べて全然良くない」と言ったら、どうか。そこで他の人を引き合いに出して、貶める必要ってある? と思うだろう。
自分の好きなもの(ミュージシャンでも曲でも映画でも俳優でもなんでも)を持ち上げるのは全然構わない。むしろ、そういった場合に俺の知らない名前が出てきたら「なんで、その***が好きなの、理由は?」とか話も広がる。もしかしたら、それがきっかけで俺もその***を好きになるかもしれない。良い事尽くめだ。だが、「Xは素晴らしいが、Yは最低だ」という趣旨の発言は何も産み出さない、むしろ人の気持ちを荒ませるだけで、良い事が何も無い。逆にXを知らずにYを好きな人がその発言を聞いたら、Xを嫌いになる可能性だってある。

誉める時は、誉める事のみに注力すべきである。下げる言葉は要らない。
凄く大事なことだ。

だから、「仲間由紀恵って美人だけど、顔でかいよね」とか「仲間由紀恵って、美人だけど、スタイル悪いよね」とか「仲間由紀恵って美人だけど、貧乳だし、お尻大きいよね」って言うんじゃねーよ。美人なとこだけ誉めておけばいいんだよ。こっちはでかい顔も、悪いスタイルも、大きいお尻も含めて大好きなんだから!
(といつものように、脱線したまま話は終わるのであった)

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