Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

好きにならずにいられない

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最近、昔話ばかり書いている。少しは未来の事や今現在の事でも書こうかと思ったが、その瞬間に愕然とした。書く事がないのだ。
さすがに人生50年以上も生きていると、未来なんかもうないに等しい。まだ40代の頃は色々考えた気がするのだけれども、50歳を過ぎてから、そういった「未来を考える」という行為自体を一切していない事に気付いた。だって、50って数字は大きいよ。四捨五入すると100だからね。100歳だよ、きんさん、ぎんさんと一緒だよ(ってゆーか、きんさんぎんさんなんて今の若い人は知らんよな。お時間のある方はググってみて下さい)。この理屈でいくと、49歳は四捨五入するとゼロだから赤ん坊と同じだね、なんて馬鹿丸出しの話になるので、やめておこう。というか、俺、数字弱いな。49を四捨五入したら、50だ。
先月、相方が誕生日を迎えて49歳となった(相方は俺の二つ下)。「40代最後の一年なんで、充実した一年をお過ごし下さい」とお祝いの言葉を述べたら、相方は「もう、50かぁ、早いなあ」とため息をついていた。
俺だって若い頃は自分が50歳を迎えるなんて思ってもいなかった。時間だけは貧乏人にも金持ちにも美人にも不細工にも平等だ。同じように時間は過ぎていく。
正直言って、現代の日本で老後を考えたら不安しかない。明るい老後なんて待っている訳がない。「じゃ、その前にいっそ首でも吊りますか」という提案もあるだろう。だが、どうせ最後は棺桶に頭まで突っ込むのだ。特に理由がない限り、自分から棺桶に入る必要はないだろう。

相方がよく言う台詞が「どうせ考えてもどうにもならない事なら、考えないほうがいい」である。典型的な頭の悪い人の発言なのだが、それはある意味、真理を突いている。最近、仕事の事や老後の事を考えると頭が痛くなってくるので、極力考えないようにしている。仕事も「今日は@@やって、今週中に**まで完了しとけばいいか」と殆どその日暮らし感覚だ。三ヶ月単位の事業計画や、年度単位の展望なんてもんは、上司に任せておけばいい。
で、じゃあ俺は日々何を考えて生きているかというと、「今日は帰宅したら、ピアノの練習しようかなあー、それともギターにしようかなー」といった能天気極まりない趣味のことしか頭にないのだ。
ギター担当で参加しているファンク系バンド(ホーンセクションが3人いる)で、新曲に「KILL BILL」のテーマ曲をやる事になった。これがまた格好良いのだ。CDに合わせてギターを弾いていると、自分が布袋さんになった気分になってくる。
ピアノに関しては、今はブルースをやっている。【セントルイス・ブルース】という曲だが、これがブルース以外の何物でもない曲で、左手でコードを弾いているだけでも気持ちよくなれるのだ。もう数ヶ月、レッスンでやっている筈なのだが、まだワンコーラス(12小節)目で、四苦八苦している。というのも、ここ数ヶ月、ギターとドラムで手一杯だったから。ピアノは殆ど手付かずだったから仕方ない。

趣味の良いところは、上手くいかなくても別段誰も困らないというところだ(バンドで参加している楽器は除く)。ピアノは毎日数分でいいから触るようにしようと決めているのだが、弾けないとすぐに嫌になって「いーや、明日やろう」となってしまう。だらだらTV見てるのがいかんのだな。
本当は、若い頃によくやっていたテレビゲームとかもたまにはやってみたいなぁと思っているのだが(俺が若い頃にやったバイオハザードというゲームのリメイク版が出たらしい)、さすがにこの歳でゲームをやるのはなあ。別に、年寄りがゲームやっちゃいかんという法はないし、むしろ反射神経を鍛える(ボケ防止)という意味では有効な気もする。ただ、ゲームに嵌ると間違いなく、時間を大量に取られる。大学生の頃、一晩中ドラゴンクエストの経験値上げに時間を費やしたりもした。あれは若かったから出来た芸当だ。

楽器だって、曲を演奏出来るようになるまで、ある程度の時間が掛かる。俺の場合は、ギター、サックス、ピアノ、ドラムとどれも中途半端なので、「この曲やろうぜ」と言われてすぐに対応なんか出来ない。ある程度の練習期間(時間)が必要だ。そう考えると、何かやろうと思って、すぐに成果や結果の出る趣味を一つ持っていると良いのかもしれない。問題はその新しい趣味がなかなか見つからない事なんだけれども。
一時、落語でもやろうかと思ったのだが、結局食指が動かないまま、ここまで来てしまった。若い頃に比べて、なんとなくだが、口が上手く回らなくなってきた気がするので、落語とかやると、発音とか発生に良いかもしれない。それに口さえ動けば、落語は出来る。楽器はいかんせん、両腕使うし、ピアノやドラムに至っては足も使う。これらが衰えて、いよいよもって「楽器はもう無理かも」となった時に、落語って趣味は良いかもしれない。

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義母(相方の実母)が俳句に嵌っていて、東京時代は遊びに行くと、よく句を披露された。とは言っても、俺は季語も判らないような俳句素人だ。人の俳句なんか詠まされたって、面白いのか良く出来ているのか、判るわけがない。
さすがに俳句はもっと歳喰ってからの趣味だよなあと思うのだが、相方が「句を詠む為に旅行する人もいるんだよ」と言っていた。なるほど、旅先で俳句を詠むのか、それはなかなか良い趣味である。もっとも、俺は句なんか詠む事なしで旅行だけしたいけれども。句を詠むよりも、旅先の風景とかを写真に収めるほうが好きだ。かといって、趣味は写真ですと言えるほど、色々写真を撮っているのでもないし。

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なんとなくだが、新しい趣味を見つける事と言うのは、結婚したいけど相手がいない人が、無理矢理結婚相手を探そうとしているのに近いかもしれない(かなり私的な暴論だけれども)。
「ああ、私はこの人を好きにならなくちゃいけなんだ」と自分に言い聞かせて恋愛する人はまずいない。もしいたら、是非ともその状況を教えて頂きたい。
大抵は、気付くと好きになっているか、一目惚れのどちらかだろう。或いは、何か心奪われるような出来事があって、それがきっかけで好きになったか。
だが、恋愛と違って結婚は色々な条件(相手の年齢、収入やら家族構成とか)が邪魔をしてくる。そうなると、恋愛みたいに心の趣くままに、とは行かなくなってくる。好きなんだけど、家柄が合わなくて両親に反対される(今時あるのか、そんなの?)ならまだ良いほうだ。
逆のパターンで、条件はぴったり(年齢や収入等)なんだけど、どうも好きになれない。でも、せっかくの結婚相手だから逃したくない、この人を好きにならなくちゃ、みたいな。
義務で人を好きになってどうするの? って話である。俺は残念ながら、人生において見合いというものをした事がないのでよく判らないけれど、見合いとかってこういう事なんではないだろうか。違うかな? あと、今の時代だと見合いよりも結婚相談所とか、婚活サイト辺りだろうか。

人間の心理というのは面白いもので、条件が合致するからといって好きになれるものでもない。むしろ、条件に合わない人にほど惹かれたりする。誰もがそういった経験はあるだろう。
人の気持ちが条件設定でフィルタリング出来れば、誰も苦労はしない。例えば、年収500万未満の人は好きになる対象スイッチをオフに出来る、とかね。サイボーグかよ。
なんとなくだが、俺の新しい趣味探しも、条件にあった結婚相手を無理矢理好きになるという行為と近しい気がしてきた。
好きでもない物を無理矢理する必要はないのだ。となると、現時点で俺には楽器演奏以外に特にやりたい事はない。だとしたら、わざわざ新しい事を探す必要もない。もし、俺が何か新しい趣味を見つけるとしたら、それはごくごく自然に普通に俺の中に入ってくるだろう。その時が来るまで、慌てる必要はどこにもないのだ。
恋愛感情と一緒なんだよな。無理矢理探すものでも、自分から気持ちを持ち上げるものでもなく、好きになれば、気持ちは勝手にその対象物に向かっていく。

ただ問題は、新しい趣味を待ってる間に、俺が先に棺桶に入る可能性のほうが高いって事だ。