Some Were Born To Sing The Blues

酒好き(2017年秋に断酒を宣言)、音楽好きな中年のおっさんの日々の呟き。趣味はテナーサックスとドラム。2016年冬に50歳目前で札幌に引越し、2017年春にピアノを始めました。そして2019年6月に東京暮らしを再開。生々流転の日々です。

人生を語るには

前から思っている事なんだけれども、オタク(或いはマニアと呼ばれる人達)は凄い。俺は尊敬する。
これは、嫌味や皮肉で言っているのではない。純粋にそう思うのだ。

オタク/マニアと呼ばれる人達は、ある事柄(本人が興味を持つ事象)に対して非常に造詣が深い。「いや、なんでそんな事まで知ってんの?」と思わず突っ込みたくなるくらいに知識が豊富である。彼らは別に人に褒めて貰いたくて、知識を吸収したのではない。自分が好きな事を調べていったり、追求したり、或いは当たり前に日常的に触れていることによって、余人には追いつけないような知識、情報量、経験などを得たのだ。

俺には残念ながら、人に「いやあ、自分は***オタク(マニア)なんですよ」と言えるものがない。つまり、一つの物に夢中になったことがない、という事だ。
俺のブログを読んで貰えれば、「ああ、このオッサンは音楽や楽器演奏が好きなんだね」と理解して頂けるとは思う。だが、俺は音楽に関しても楽器に関しても何一つ突き詰めたものがない。
ギターにしても、サックスにしても、それこそ「プロに負けないくらい上手くなってやる」みたいな気概も無かったし、努力もしなかった。他になにか夢中になるものがあった訳でもないのに。そのせいで、楽器の腕前は高校生以下だ。

好きなミュージシャンやバンドはいくつかあるけれど、そのバンドが大好きな人と、それこそ夜を徹して話せるほどに、知識や情報を持ち合わせてもいない。

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かなり昔の話だが、ローリングストーンズのファンサイトでオフ会が開催された。二部構成となっていて、一部でストーンズの曲を皆で演奏し、二部は飲み会で自由に歓談というスタイルだった。一部から参加して、三曲ほど、好きなストーンズの曲を演奏させて貰った。
そして、二部では、居酒屋でストーンズ談義が始まった。俺はみんな好きなアルバムや曲の話をするのかなと思っていた。違った。
「19**年の***ツアーのブート(ブートレグ海賊盤の事)聴いた事ある?」
「3月12日の奴なら聴いたなあ」
「いや、あれは13日のほうが、格好良いんだよ」
連中はそんな会話を繰り広げているのである。そもそも、海賊盤なんて、一つのツアーの奴を一枚持ってりゃ充分だろ(俺はストーンズ海賊盤は全部で二枚しか持っていない)。連中は、同じツアーの海賊盤ですら、何種類も持っているのか!

やはりオタクという人種は、そうでない人からすると、ちょっと別の世界の人間というか、交わるのが難しいのかなと思わせるのも事実だ。これは、オタクな人達の豊富に持ち合わせた知識が逆に問題を引き起こしているとも言える。

大学時代、学生用のおんぼろアパートに住んでいた。隣の部屋には英語オタクな学生が暮らしていた。彼に英語に関する質問をちょっとすると、明らかに過剰な答えが返って来た。こちらが「車って、アクセル踏むと走って、ブレーキ踏むと止まるんだよね?」程度の質問をしているのに、「F1を運転するのに必要な技術の話一式」が返ってくるようなものだ。
後に彼に「そこまでの回答は求めてないよ」とやんわり伝えた事がある。すると彼は「いや、質問の答えに過不足あったらいけないと思って」と答えるのだ。
彼の答えに不足はなかった。否、いつも過剰だった。そこが一般人とオタクの境界線なんだと思う。彼からすれば、(オタクにとって)当たり前の情報兼答えだが、一般人の求めるそれとは100マイルも乖離しているのだ。

社会人になってから、ある映画オタクの人と雑談をしていた。彼は俺がサックスを趣味としているのを知っている。唐突に彼に言われた。
「ダイハード2のエンディングの曲のサックスって格好良くない?」
俺は絶句した。こういった「自分の知っている事は相手も知っていて当然」を会話の前提にぶっこんで来る(一部の)オタクが、オタクの負のイメージを増幅させていると思う。
彼はこの会話の中で俺に「ダイハード2を見たことがあるか?」「ダイハード2のエンディングの曲を聴いたことがあるか?」とは一切尋ねてこなかった。俺にその曲のサックスが格好良いかどうか意見を求めるのなら、まずその二つの前提を俺がクリアしていなくては話にならない。
俺は彼に、「映画を見たか、エンディングの曲を知っているか、という質問を済ませてから、サックスの話をしてくれ」という意味のことを懇切丁寧に言った。彼には俺の言いたいことがあまりよく伝わらなかった。映画オタクの彼からすれば、ダイ・ハード2を観ていない人間は存在しない、そのエンディングを聴いた事があるかどうかなんて、わざわざ確認するまでもない、くらいの認識だったのかもしれない。

そりゃ、ビートルズマニアの間で「LET IT BE」を作曲したのは誰か? なんて会話は発生しないだろう。だが、ビートルズを一度も聴いた事のない人に「ポールとジョンはどちらが偉大だと思う?」なんて訊いたら、訊かれたほうが困惑するだけだ。
そういった距離感を測ることが大事なのだ。

最近やたらと「ボヘミアン・ラプソディ」(QUEENの映画)に言及する人がネットで多くなり、一部のオタクとしか思えない人のコラムみたいなものを読んで愕然とした。一般人を置いてきぼりにした文章で、映画の本質と関係のない部分を延々と論評するようなものだった。
オタクの負の面ばかりが強調された文章と言われても仕方のないものだった(中には、意図的にネタで書いていた人もいるだろう)。

だが、なんとなくそういった側面も判るような気がしてきた。自分が知っていることを知らない人に対して話したくなる、教えたくなるのは人として自然な感情だから。
俺だって、人に何か語れるようなものを持っていたら、存分に語っていたかもしれない。うざがられているのにも気付かず。だが、俺には残念ながら、人に語れるものが何もない。
延々と熱く語ろうにも語る事が出来ない。

だから俺は、そういった自分の言葉を持って、語れる人を尊敬するのだ、ある意味では。
ただ、その語る熱量や物量、質に関してはバランスが大切だ。

何事もバランスが大切。