Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

メキシコ・シティから帰って来た

早いもので、メキシコから帰国して一週間が過ぎた。旅行というか、楽しい時間はあっという間で、メキシコに10日間弱もいたのが、もう何ヶ月も前のような気すらしている。

今回の旅行ほど、「観光」というよりも「休暇」というニュアンスが強かったものは過去にない。大きな理由として、旅行前にあまりにも仕事が忙しくて、碌に休んでいなかったというのがある。
それと、今回はあまり色々と観光巡りをしなかったせいで、非常にまったりとした旅行になったというのも要因としてあげられる。

旅行記はあくまでも自分に対しての備忘録としての意味合いが強いから、記憶が無くならない前に記録しておきたい。が、今日はまだそういった気分に自分がなっていないので、とりあえずメキシコに対する雑感を記しておきたい。

メキシコは今回が二回目。一回目は三年前。その時はグアナファトという世界遺産である街に滞在した。スペインの植民地であった影響もあり、グアナファトという街はスペインの色が強く出ていた(と偉そうに言っているが、三年前はまだスペインには行った事がなかった)。
今回は、メキシコ・シティ(以下、シティ)。シティはダウンタウン。ようは下町だ。日本で言えば浅草とか門前仲町とかそんな感じ。観光地というよりも、地元の人達の暮らすごくごく当たり前の街。
だから、非常に雑多で猥雑で、人々の暮らしが見て取れた。

また、今回はメトロ(地下鉄)に毎日乗って移動したので、地元民達の雰囲気を非常によく感じる事が出来た。それも楽しい経験だった。どうしても海外にいくと、観光地メインになるから、そういった「現地の普通の暮らし」を肌で感じる事が難しくなる。
今回はある意味では「観光地」よりも「普通の町」に滞在していた感が強かったので、その経験も悪くなかった。

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こういった事を書くと、気分を害する方もいるかもしれない。が、これは俺が思った事なので、あえて記しておく。
メキシコが今でも貧しい国で、いわゆる「後進国」(今も発展途上国って表現なんだっけ?)なのもよく理解出来た。メトロに乗ると、必ず物売りに遭遇した。
売っている物は様々。背中にスピーカーを背負って、CDを流して売っている人もいた。PCのUSBメモリを売っている人もいれば、お菓子を売っている人、イヤホンを売っている人など様々だった。
これは日本では絶対に見られない光景だ。

はっきり言って、メキシコからこういった物売りが消えない限り、メキシコの発展はないと思う。何故か。物売りの人達は、問屋なり店から、CDを10ペソで買う。そしてそれをメトロで15ペソで売って、5ペソの利ザヤを稼ぐ。
単に商品を右から左に流しているだけ。最初に製品化したCDはどこまでいっても、最初に製品化したままだ。何も付加価値が増えない。
つまり、ビジネスの過程で何も発展する要素がないのだ。

だから、CDを15ペソで売る横で14ペソで売る人がいれば、皆そっちに行ってしまう。そうなると、今度は13ペソだ、12ペソだとダンピングが始まる。あとは互いに利益を喰い合うだけの世界となる。
そこには何も上に向く要素がない。

ここでそのCDに何かしらの他にない価値を付加出来るような工程を産み出す作業が出来れば、10ペソのCDは20ペソにも50ペソにもなるだろう。そうなれば、ダンピング合戦をしなくて済む。
だが、それを考える人もいなければ、その必要性を説く人もいない。この構造は、カンボジアなどの貧しい東南アジアの国々も同じだ。

明日の100ペソよりも、今日の10ペソ。それが貧しい国の発想だ。そしてメキシコは当面この考えからは抜け出せないだろう。
圧倒的な物量で勝利を収めたのがアメリカ。量で勝てないから、そこに質を求めたのが日本。そして、マンパワーで諸々を凌駕した中国。
こういった国々にメキシコが追い付ける日は来るのだろうか。少なくとも、俺が生きている間は、そんなメキシコには逢えない気がする。でも、それが出来てしまったら、メキシコがメキシコでなくなるような気もする。

田舎の素朴な純情な可愛い女の子を見て「この娘が都会のファッションや化粧を覚えたら、とてつもなく綺麗になるだろう。でも、この子にはそんな都会の毒には染まって欲しくない」と、アンビバレントな気持ちを抱くのに近い感情なのかもしれない。