Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

北海道胆振東部地震に関する覚書

札幌に住んで1年と8ヶ月になる。

先日、北海道胆振東部地震に遭遇した。その顛末を(まだ完全に復旧した訳ではないけれども)、備忘録として書いておきたい。
2018年9月6日、夜中の3時過ぎにいきなりマンションが揺れた。確かに揺れは大きかったけれども、自分の中ではそれほどの大地震だという認識がなかった。
相方の無事を確認し、暫くスマホをいじっていたら、常夜灯が消えた。地震の直後に停電はよくある話だ。朝には直ってるだろうと気楽に考えていた。
朝、スマホの電話が鳴って何かと思ったら、群馬の父親からだった。「おい、地震は大丈夫か。停電して電車も止まってるぞ」と俺は札幌の様子を群馬の親から教えて貰った。謎のパラドックスだ。
「電車が止まってる」と教えて貰って、最初に考えたのが「じゃ、今日は仕事休みだな」という呑気な考えだった。停電なので当然テレビはつかない。スマホから情報入手しようと、スマホでブラウザを立ち上げて、地下鉄が止まっている事を再確認。その時、スマホのバッテリーが40%未満しかない事に気づく。あ、そうか停電したから、充電出来てないんだな、と。

9時を過ぎて職場に電話するが、電話そのものが繋がらない。ま、この状況じゃ自宅待機は間違いないところだし、慌てても仕方ない。仕事なんかよりも家のほうが大事だ。
相方が「停電に備えて蝋燭と懐中電灯あったよね。どこかな?」と言う。確かに東日本大震災の時に、蝋燭と懐中電灯を準備した筈だ。いったいどこに仕舞ったっけ?
あ、その準備って、東京にいた頃の話じゃねえか。札幌へ引っ越した時に、蝋燭も懐中電灯も処分してしまっていた。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とはよく言ったもので、俺達は東京から札幌への引越しで、地震に対する準備を怠っていた。だが、東京時代に支給された災害グッズ(バッグ?)はちゃんと札幌に持ってきていたので、手動で動く懐中電灯&ラジオは使えることが出来た。
「コンビニ行って、蝋燭買って来ようよ」相方が言う。俺は「どうせ夜には復旧するだろうから、蝋燭なんか要らねえだろ」と呑気に考えていた。この考えが甘かったことを後に知る。
家から一番近いコンビニに行ったが、普段からは想像もつかないような混雑具合。食い物、飲み水、スマホの充電器系が綺麗さっぱり売り切れだった。
仕方ないので、駅前の西友に行って見るが、閉店中。マックスヴァリュー(イオン系列のスーパー)も閉店中。
ついでに地下鉄の入り口に行ってみると閉まっていた。駅員らしき人が「地下鉄再開の見込みは立っていません」とアナウンスしている。
こりゃ、どうしようもねえな。相方と帰宅。
とりあえず、飯でも食うかとパンとヨーグルトのいつも通りの朝食を摂る。冷蔵庫が停電で使い物にならないので、牛乳やヨーグルトを消費しちゃおうという狙いだ。
冷凍庫に、アイスが三つあったので(風呂上りに食べるようにストックしておいた)、それらを平らげる。食わなかったら、溶けちゃうので。

俺と相方のスマホにそれぞれ東京時代の友人知人から「地震大丈夫かー」のメッセージが来る。気持ちの上では非常に有り難かったのだが、これはあえて書いておきます。
「地震に遭った人への安否確認メッセージは、スマホのバッテリーを減らすだけなので、控えたほうが良い」
実際問題、地震に関しての有益な情報はFACEBOOK、Twitter経由が多かった。が、スマホの充電が出来ない状態だと、これらへのアクセスも控えざるを得ない。いわゆる命綱だからだ。

午後、暇なので蝋燭と食料探しに散歩に出掛ける。うちは俺と相方の二人だけだから最悪、二日三日は水飲んでいればなんとかなる(うちのエリアは断水はしていなかった)。が、病気の年寄りや乳幼児を抱えている家族ともなれば、そうはいかないだろう。こういった自然災害が発生した場合、やはり身体的弱者を抱えていると、かなり厳しいのだなと思わざるを得ない。
俺達の住んでいる札幌市N区は地盤が固いとの話で、道路も陥没していないし、建物も崩壊していない。見た目はまったくいつも通りだ。信号にライトが灯っていないことを除けば。

近くの薬局を通り過ぎると、長蛇の列。カップラーメンや薬等を求める人がいるのだろう。
駅前の一杯飲み屋の前に「おにぎりあります」の看板が。入ってみると、お手製のおにぎりを一個200円で販売していた。有りがたく5個購入した。おにぎりはその日の晩御飯になった。
さらに歩いて、普段車でよく行くスーパーへと。ここも店内は封鎖されていて、入り口で必要なものだけ販売する配給制度みたいな風景が広がっていた。
相方の目指していた蝋燭を無事にゲット。

帰宅しても、当然やる事が何もない。仕方ないので、ラジオを点けて聴いてみるが、たいした情報はない。相方はスマホで札幌の知り合いとラインで情報交換とかしているが、この時点で有益な話が聴ける訳も無く。

夕方になったので、相方とさっき買ってきたおにぎりを食べる。冷蔵庫に卵が残っていたので、卵焼きを作る。それにしても侘しい晩御飯だが、贅沢を言っている場合じゃない。うちは、水とガスが活きていたので、まだ良かったほうだ。

日が落ちて暗くなったので、蝋燭をつけて夜を過ごす。と言ってもやれる事など何も無い。仕方ないので、俺は暇つぶしにギターの練習をしていた。せっかくなので、モロッコで買ったランプを使ってみた。なかなかムードがあって良い、こんな状況でなければ、もっとこの灯りを楽しめたかもしれないけれども。

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翌日、電気が復旧している事を期待したが、停電のまま。また暇つぶしを兼ねて駅前まで散歩する。西友は閉まったままだ。マックスヴァリューの前で行列が出来ている。もしかして、何か買えるかな?と俺達も行列に並ぶ。暫くして従業員が出てきて「本日、2時から営業します」の声。まだ時刻は9時である。さすがに並んでられん、という事で解散。
普段は車でしか行かないスーパーのほうまで脚を伸ばす。と、野菜とカップラーメンが売っていた。相方はインスタント食品が大嫌いなので、普段家にはインスタントの備蓄がない。贅沢を言える身分じゃないので、カップラーメンを買い込む。一人5つまでの札があるので、5つ買う。よく考えたら二人でいるのだから、10個買っても良かったけど、そんなに買い込んでも仕方ないしね。

カップラーメンを詰め込んだ袋を抱えて家まで帰る。この日は気温が割りと高めで、結構暑い。相方が「冷たい飲み物欲しいなあ」とつぶやく。街には自動販売機があるけれども、当然使えない。財布の中には金があるのに、物が買えないとは、不思議な感覚だ。

相方と歩きながら「この季節の地震だったから、まだ良かった。これが冬だったら買出しにも行けないし、暖房も使えないから、地獄だったね」と話す。冬の札幌で暖房器具が使えない状態は、冗談抜きで命にかかわる。

午後になって、やっぱり退屈なので、今度は隣町のイオン(この辺りで一番でかいイオン)まで出掛けることにする。さすがにイオンはやっているだろう。普段は車で出掛けるけれども、この日は徒歩でだ。
やはり長蛇の列が出来ている。そして入場規制をしていて、中が覗けない状態なので、何が買えるかもよく判らない。俺達の場合は、これが欲しいというものがある訳じゃないので、イオンを諦める。

夕方になり、相方が「土鍋でご飯炊いてみるね」と。うちは運よく、米の備蓄があり、ガスが使えたからこういったやり方が出来たが、米の買い置きがない、断水している等の家だとこうはいかなかったろう。
ちょっとオコゲの出来た固めのご飯、おかずはホッケの塩焼きとししゃも(どちらも冷凍食品、解凍されかかっていて、この日に食べないと腐って駄目になっていたろう)。
相方の大好きなカキフライは、既に解凍されていて、これは食べるのを諦めた。

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さすがに停電二日目の夜となり、相方が「ああ、まだ復旧しないのかなあ。お風呂入りたいなあ」と言い出す。避難所等で過ごしている人に比べれば、家でご飯が食べられて、ベッドで眠れるのだから、贅沢を言えばきりが無い。だが、この日は気温も高かったし、オッサンの俺だってシャワー浴びたいくらいなのだ。女性である相方が風呂に入りたいという気持ちも理解出来る。
相方はネットで銭湯や健康ランドの情報を調べている。が、近所の健康ランドが「駐車場への入り待ち」状態であるとTwitterで知り、諦める。
「よし、鍋でお湯沸かして、それでお風呂入ろう!」相方がとんでもないことを言い出す。うちのガスコンロは3口あるので、そこで寸胴、行平鍋、両手鍋の三つでお湯を沸かす。そして適温になったら、バスタブへ運ぶ(勿論、この作業をやっているのは俺だ)。
三往復くらいしたが、全くお湯が溜まる感じがしない。勿論、少しずつ水位は上がっているけれども、これ、風呂入れるだけの量となると、30回くらいやらないと駄目なんじゃ?
俺が絶望しかかっていると、マンションの階段の踊り場のほうから、子供達の嬌声が聞こえる。お、もしかして?
ドアを開けると共用部分に明かりが灯っていた。俺は慌てて、落としていたブレーカーを上げる。

点いた!

実に二日ぶりに明かりが灯った。部屋の明かりがこれだけ嬉しいものだとはな。
そして、そのまま風呂のセットをする。いやあ、30回もお湯を沸かさなくて本当に良かったよ。
テレビを点けて見ると、普通に、くだらないバラエティ番組をやっていた。日常生活が戻って来たなあといった感じか。

土日は、地震前と同じように過ごした。相方は土曜に東京へ出張に出掛けたのである。地震が起きる前から決まっていた出張だからな。ご苦労な話だ。

今回の地震に遭遇して二つの事を強く思った。
人というものは、喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物であるという事。東日本大震災であれだけ地震への準備が必要と思っておきながら、時間が経ったら、見事に忘れていた。食料の備蓄や蝋燭、スマホの充電器具等、必要なものがいくらでもあるのに、それの準備をすっかり俺達は怠っていた。
そして、対岸の火事は対岸の火事でしかないのだ、という事。
東日本大震災や熊本地震などを俺がテレビで見た時、あれはやはりテレビの中の映像でしかなかった。実際に自分が遭遇しないと、こういったものは理解出来ないのである。
だが、実際に体験してから、色々考えても手遅れだ。
今回は、停電も二日で済んだし、家は水もガスも使えることが出来た。そしてたまたまだけれども、米も買い置きがあり、冷凍庫に食材が残っていた。
大人二人だから、食料もある程度は融通が効いた。が、これらは全て運が良かったとしか言い様がない。
俺達が乳幼児を抱えていたら、こう呑気には対応出来なかったはずだ。病気の年寄りがいたら、悩みどころはもっと増えたに違いない。勿論、備えが万全であっても、いや万全な備えなんて存在しないのかもしれないが、それでも備えていれば、もっと上手く対処出来た事も多かったろう。
「自分だけは大丈夫」なんて言葉は、この日本で暮らして、地震災害に遭遇する可能性がある限り、絶対に当て嵌まらない。

相方が「いつ死ぬか判らないんだから、私はこれからは好きに生きる!」と宣言したので、俺は言った。
「お前は今までだって、自由勝手に生きて来ただろ」
相方は苦笑いしていた。