Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

東京という名の女

昔話だ。
俺が30代前半から半ばくらいに差し掛かった頃の昔の話。

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当時、同い年の雪絵ちゃん(仮名)と、20歳をちょっと超えたくらいのトオル君(仮名)とよく会っては酒を飲んでいた。知り合った切っ掛けはネットのオフ会だ。よくある話。
音楽業界に片足突っ込んでいた雪絵ちゃんと、北陸地方から上京して日の浅いトオル君。そして酒飲みサラリーマンの俺。よく判らん組合せだった。

東京渋谷の小洒落たカフェともレストランともつかない店でよく酒を飲んだ。彼女がそういった店を好んだからだ。俺は普通に居酒屋のほうが好きだったのだが。だってそういった渋谷の洒落た店は高いから。
三人で飲んでいたら、トオル君が「ボク、彼女が出来たんですよ」そう言ってお手洗いに立った。雪絵ちゃんと二人になると、彼女が俺にぽつりと言った。
トオル君の言う恋人って、私のこと」
そうなんだと俺は頷いた。これで俺が雪絵ちゃんに惚れているとかだったら、ドラマにあるような三角関係が出来上がるんだけど、そんな事は一切なかった。
俺自身、20代の頃に一回り以上年上の女性と付き合った経験がある。珍しい話じゃない。ただ、女性がずっと年上だと時々辛くなる事があるよ、俺は経験談を踏まえてそんな事を言った記憶がある。

彼女は判ってると言った。実際に判っていたのかどうかは俺の知る由じゃない。彼女が将来傷つく事になっても、それは彼女自身の選択だ、仕方のない事だ。

彼女は自分のBlogに若い恋人の事を書くようになった。知ってる人が読めば「ああ、これはトオル君の事だな」とすぐに判る。だが、判らない人が読む分には、フィクションともノンフィクションともつかない年上の女性と若い男性の恋話の羅列だ。
この時、正直言うと、俺は雪絵ちゃんとトオル君がどうなろうと知ったこっちゃなかった。何故かというと、俺自身が結婚まで考えた女性と上手くいってなくて、破局寸前だったからだ。
だからと言って「二人も別れちまえばいいのに」と卑屈になったりはしなかった。かと言って「幸せになれよ」と仏のような気持ちになる事もなかった。ただ、自分自身(と俺から離れようとしている恋人)の事で精いっぱいだった。

そして彼女のBlogの内容の雲行きが段々怪しくなってきて、或る日「ああ、これは二人は終わったのかな…」と思わせる散文詩のような日記が書かれていた。
たまたまだが、その頃俺も彼女と破局を迎えて、毎日酒ばかり呑んでいた(別に失恋しなくても酒は浴びるように呑んでいたけどな、当時は)。

彼女から話があるからサシで飲みに行かないかと誘われ、やはり渋谷の飲み屋に行った。そこで彼女は二時間ひたすらトオル君の事を話し続けた。
「彼は才能があるのだけれども、ブレイクする切っ掛けを掴めていない。頑張れば出来るのに、やらない…」とかなんとか。俺からすると、彼にそれだけの才能があるようには見えなかった。ただ、彼はまだ20代前半と若かったから、何でもやる気になれば出来る年代だ。俺のようにシステムエンジニアとして生きていく以外の方法を見いだせないデッドエンドの人間とは違う。
それが若さというものだ。
ある意味、雪絵ちゃんもデッドエンドの人間だった。なまじ音楽に関する才能があった為に、その世界に足を突っ込み、抜けられなくなっていた。かと言ってプロとしてその世界で死ぬまで生きられる程の才能もなく、強さもなかった。

トオル君が雪絵ちゃんに惚れた理由が俺にはよく判った(同じように過去に年上の女性に惚れた男として)。東京でバリバリに音楽に絡む仕事をして、渋谷近辺に住んでいる。飲みに行くのは渋谷の洒落たカフェやバー。歳は一回り上。そんな女性だ。
トオルからしたら、雪絵ちゃんは大人の美しい颯爽とした女性に見えた事だろう。
また、トオル君は北陸から東京に来て日が浅かったから、雪絵ちゃんが「都会で暮らす洒落た女性」に見えたのだ。それは歴然とした事実だったろう。だが、東京はいつまでも憧れの地じゃない、彼にとって。

大都会での憧れの生活がいつか日常に代わるように、トオル君にとって雪絵ちゃんとの時間が徐々に大切なものじゃなくなっていってしまったのだ。トオル君が少年から大人の男性になっていく中で、雪絵ちゃんは大人の女性から少しずつ、自分とは世代も会話も噛みあわなくなる、ときめきを与えてくれなくなったただのおばさん(表現は悪いけど)へと変貌していってしまったのだ。
これはあくまでも俺の想像でしかない。が、雪絵ちゃんの会話の端々から、俺にはそうとしか思えなかった。

金曜の夜だったので、二時間で飲み屋は追い出された。高層ビルの最上階から地上へ降りるのはエレベーターだった。ビルの外側に張り出したガラス張りのエレベーター。無駄にお洒落だった。
「ねえ、兄い、キスしようよ」二人きりのエレベーターの中で雪絵ちゃんに言われた。同い年だが、俺は彼女から「兄い」と呼ばれていた。トオル君が俺をそう呼んでいたからだ。

そしてそのまま歩いて、とある某ロックバーに行った。そこは俺のお気に入りのロックバンドのライブDVD(当時はまだVHSだったかもしれない)をマスターがよく流してくれたからだ。
が、行ってみると、店は閉まっていた。お盆休みだった。二人で店の前で呆然として「どうしようか」と思案して、何故かホテルに行った。
「ホテルの部屋で酒呑もうよ」と言い出したのは雪絵ちゃんだった、俺じゃなかった。
ホテルの目の前にあるコンビニで雪絵ちゃんに万札を握らせて「好きな酒買ってきて。俺はウォッカを」と。何故一緒に酒を買いに行かなかったのだろうか。ちょっと思い出せない。もしかすると、俺は俺で最後の賭けで別れた恋人に電話をしたのか、もしくは彼女から電話が来たのだったか…やはり思い出せない。

ホテルの大きなベッドに二人で座ってビールとウォッカを適当に呑んだ。この時は二人して酔っ払って、互いに別れた恋人の話をしていたような気がする。
酔った勢いで、互いの傷を舐め合うという事以上でも以下でもなく身体を重ねたけど、何の意味もなかった。

雪絵ちゃんが結婚に向いていない女性なのは明らかだった。それはやはり音楽の世界に身体半身だけいられるだけの実力があったからだ。だが、その(言葉は適切じゃないかもしれないが)中途半端な才能が彼女を生きづらくさせたのだろうなと思う。
すっぱりと足を洗って別の業界に行く事も出来ず、かといって首までそこに浸かる事も出来ず。音楽に関して凡庸だったら、もっと早くに足を洗って、会社の事務のような目立たないが、日々着実に生きている仕事に転職出来たかもしれない。
そしたら、会社の同世代の男性と恋愛をして、刺激はないが心穏やかに過ごせる、世の中に何百と転がっているような恋愛話のヒロインになれたかもしれない。
一回りも下の男性と恋をして、自暴自棄になって歯車が狂っていくこともなかったかもしれない。

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何年か後になって、互いに生き方の違いで喧嘩メールのような遣り取りを数回して、彼女とはそれっきりだ。
彼女は俺と同い年(の筈)だ。だとすると、彼女ももう50歳。まだ苦しい生き方をしているのだろうか。そして、トオル君はもう30代後半になった筈だ。あの頃の俺よりも年上になったのか。

東京ラブストーリーなんて夢物語だよな。現実は誰もがハッピーエンドを迎える訳じゃない。