Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

人はパンのみにて生きるにあらず

八時近くまで残業をして、職場を後にした。晩御飯どうすっかなーと考える。昨日、坦々鍋は喰い尽くして、冷蔵庫の中に材料も一切残っていなかったから、今日の晩飯は外食決定。

問題は何を食べるか、だ。
俺は馬鹿舌だ。そして食い物に対する興味も薄い。だから、独りで外食となると、頭に浮かぶのが、ラーメン、蕎麦、スパゲティそのくらいだ。麺ばかりじゃねえか。

たまにはハンバーグライスでも喰おうかなあと考えるが、札幌でそういった店を開拓、探索していないので一切判らない。それに八時回っているから、早く家に帰りたいなあという気分も湧く。
とりあえず最寄り駅まで帰る。この時点でかなり選択肢は狭くなった。俺の住んでいる駅は札幌でも田舎の町なので、食い物屋が滅法少ない。
安心確実なのは、サイゼリアに行く事だ。だがあそこはもう何度も行っているし、味も判っている。蕎麦という気分でもないしねえ。たまにはご飯が食いたいかなという気持ちになってきていた。

そこで駅から徒歩一分のところにある中華屋さんに行く事にした。この町に越してきてすぐに発見していたのだが、駅前だから慌てて行かなくても、機会はいくらでもあると思っていたのだ。
今日みたいに、行くあてもない場合には、ちょうどいい。

店に入る。カウンター席が10席程ある。一番端が空いていたのでそこに座る。隣に20代とおぼしき女性がスマホ片手に野菜炒め定食っぽいものを食べていた。いわゆるラーメン屋さんで定食を一人で食べる女性というのも、なかなかワイルドである。

チャーハン喰いたいなあ、でもラーメンもやっぱり喰いたいな。と考えながらメニューを見たら、「チャーハン、ラーメンセット」というのがあった。900円だ。これは! 半チャーハンとラーメン、チャーハンと半ラーメン、或いは半チャーハンと半ラーメンのどれかだろう。
よし、これにしようと注文。

程なくして、チャーハン、ラーメンセットがやってきた。おっとびっくり。チャーハンもラーメンもレギュラーサイズだ。これは若者や肉体労働に従事してる人用のメニューだなあ。
俺みたいな、小食のデスクワークのおっさんが食う代物じゃない。まあ、いい。

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まずは麺を一口。そしてスープを飲む。次にチャーハンをレンゲですくって一口食べる。

うむ。不味い!

ラーメンも不味いが、チャーハンも不味い。救いがない。

ラーメンのスープは出汁が全く出ておらず化学調味料の味しかしない。麺も茹で過ぎでグダグダだ。叉焼は薄く味が染みておらず、旨味が一切感じられない。
なぜか醤油ラーメンなのに、玉ねぎが入っていた。北海道の醤油ラーメンて玉ねぎ入れるのがデフォルトか?
チャーハンは味付けが全然出来ておらず、中途半端に炒めた焼き飯を喰ってる気分。これで下味がしっかりしてる薄味を狙っているのならともかく、中華屋でそんな味は求められていない。

カウンターに座っていたから、調理人の調理する姿が見えたのだけれど、彼は手を抜いているんじゃなくて、もともとのレシピが良くないのだろう。或は彼の腕が悪いのか。

だが、従業員は全部で3人いたが、無駄話しながら作業している辺りからしても、味は期待しちゃいけない店なんだな。俺はラーメン屋で「なんだ、この味は! 作り直せ!」(海原雄山かよ?)というタイプじゃない。
つまりまあ、あー今日のこの店は失敗だったなと思って、その店には二度と行かないタイプだ。大抵の人がそうだろう。そして俺は貧乏性だから、自分で注文したものを残す事が出来ない。
ラーメンもチャーハンも半分喰ったくらいでもういいやって気分になっていたが、残すのは貧乏人のプライド(なんだ、それ?)が許さない。
後半は一気にペースアップして胃袋にラーメン、チャーハンを収めた。超満腹になった。

良い店だったら、余韻を楽しむところだが、当然ここはそういう店じゃないので、食べ終わったら、速攻で勘定して店を出た。そして家までの約7分間、歩きながら満腹の腹をさすりながら悲しい気分になった。
人間てさ、美味しい物食べると幸せな気分になれるけど、不味い物食べると、凄く悲しい気分になるよね。

まだ、不味い店でも、心置けない人と一緒だったら、その不味さすらも笑い話に昇華出来るけど、独りの晩御飯が不味いと、もうただの不幸話でしかない。

人間が生きていく上で食い物は必須だ。そこに栄養素は必要な要素だが、極論を言えば美味さは関係ない。美味くなくても、必要な栄養さえ摂取出来ていれば、人は生きていける。
いや、必要な栄養のみで生きていけるのは動物だ。人と動物が違う点はそこにある。
やはり、食べる以上、美味しさというポイントは絶対に外せないものなのだ。


これだけ長い間生きてきて、今日俺は初めて、海原雄山山岡士郎の傲慢さが理解出来た。