Some Were Born To Sing The Blues

Saxとジャズ、ピアノとブルース、ドラムとロックが好きなオッサンの日々の呟き

シェリル・クロウのカバーバンドをやった時の思い出話

今日は昔のバンドの話でも書こう。
日本が日韓ワールドカップに燃えていた頃なので、時は2002年だ。えらく昔である。俺はまだ34歳だった。当時は今みたいにBlogが一般的じゃなかった。俺も自分で作った個人サイトをやっていた。

メインで書いていたのが、雑文コラムという阿保みたいな文章と当時やっていたバンドの活動記録の2本立てだ。バンドの話はやはりバンドマンや音楽好きな人達に受けていたようで、たまに「バンド話、楽しみにしてます」というメールが来たりした。もっとも、メールなんて季節の変わり目に1通、2通来る程度。

ただ、そのサイトをやっていたお蔭で、2つの恩恵を受けた。1つが同じバンドマンから「ロックセッションやってるんだけど、参加しませんか」と誘われて定期的にセッションに参加するようになったことだ。そのセッションでは好きなローリング・ストーンズの曲を演奏出来たりして、非常に楽しかった。。

そして次の恩恵が俺のサイトを見てくれていた方と一緒にバンドをやれたことだ。ある日、奈緒ちゃんという女子大生からメールが届いた。
「大学卒業間近の女子大生です。バンド話、楽しく読んでいます」みたいな感じの書き出しだった。彼女の近況と自分もバンドやってるので親近感湧きます、みたいな内容が書いてあった。

ぽつぽつと彼女とメールのやり取りをした。彼女のお薦めのミュージシャンがシェリル・クロウだと書かれていた。俺は知らなかったので速攻でCDを購入した。俺好みのアメリカンロックな感じですぐに好きになった。それから奈緒ちゃんとは「シェリルのこの曲いいよねー」みたいなやり取りをした。シェリルはストーンズとも共演しているような人だったのだ。俺が好きになるのは当然だった。

それから暫くして、奈緒ちゃんから「お願い」というタイトルのメールが来た。何かと思って読んでみると、今度彼女主催でスリーピース(3人編成)のバンドばかり集めたライブをやる、その前座でシェリル・クロウのカバーバンドで出たいんだけど、ベースがいないと書かれていた。彼女自身がボーカルとギター、奈緒ちゃんの彼氏がドラム、でベースがいないと。
当時俺はサイトのバンド話で自分がベースを担当している事を書いていた。奈緒ちゃんはそれを読んでいたから「このおっちゃんにベース頼めないかしらん」と思ったのだろう。

俺は正直に「すごくその誘いは嬉しいけど、俺のベースは最下層だよ。凄く下手だよ。それでもいいの?」と返した。何しろサイトは文章しかないからね。俺の演奏テクニックを確認する術がない訳だ。俺はサイト上でも「このバンドのメンバーは俺を含めて揃いも揃って下手くそしかいない」と何度も書いていた。だが、読者からしたら、謙遜していると思ったのかもしれない。世の中には、楽器演奏が上手いくせに「俺は下手なんで」と謙遜する人と、本当に下手なので正直に「俺は下手です」という2種類の人種がいる。俺は後者だ。f:id:somewereborntosingtheblues:20150308174702j:plain

奈緒ちゃんはそれでも構わないという。当時やっていたストーンズのカバーバンドは実質活動停止だったし、人と合わせる事に飢えていたから、俺は「じゃあ、お願いします」と返事をした。まだ当時はサックスもドラムも始めていなかった。

携帯メールと電話番号を交換して、約束のスタジオの受付で待ち合わせた。時間になると、身長150センチくらいのちびっ子の女の子と体格の良い男性の2人組がやってきた。奈緒ちゃんとその彼氏の圭司君だった。彼らは非常に人当りがよく、俺は初対面でこの2人が大好きになった。

スタジオに入り、いくつかの決めていた曲を合わせた。俺は精々ルートに5度を足した程度の最低限のベースしか弾けなかった。奈緒ちゃんはソロをガンガン弾くというよりも、カッティングが上手いタイプのギタリストだった。キース(リチャーズ)好きだって言ってたしな。納得だ。ドラムの圭司君はプロを目指しているという話だった。その話通り、滅茶苦茶ドラムが上手い。単なるエイトビートでも、リズムの決めの良さに俺は感動した。

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2人は俺のベースを聴いて「このおっちゃん、謙遜じゃなく、本当に下手やん」と思った事だろう。俺は2人にすまなく思った。でも、二人が素晴らしかったのは、俺をちゃんとリスペクトしてくれた事だ。無論俺が一回り以上、年上というのもあったかもしれない(奈緒ちゃんとはちょうど一回り上。圭司君とは8歳くらいの差だったかな)。彼らは俺を同じミュージシャンとして扱ってくれた。当然俺のプレイの駄目なところは奈緒ちゃんから「こう弾いて下さい」とリクエストが来た。お客さんじゃなく、同じバンド仲間として扱ってくれた。それが最高だった。

スタジオ練習を重ね、練習後はファミレスでお喋りをした。その時間も楽しかった。バンド練習をし、その仲間と時間を過ごす。久しく忘れていた楽しみを俺は経験出来た。

ある日奈緒ちゃんが"Everyday is a Winding Road"という曲でピアノを弾き始めた。彼女はピアノも上手いのだ。すげーなー。で、俺は奈緒ちゃんのレスポールを勝手に借りて、適当にオブリガードを入れた。奈緒ちゃんが「兄い、それでいきましょうよ!」と喜ぶ。俺は彼女からは兄いと呼ばれていた。

ライブの日。俺はベースとコーラス。オープニングの"Steve McQueen"は恰好よいロックンロール、何曲か演奏し(なにをやったか忘れてしまった(笑))、そして俺の好きな"You're an Original" ここでは俺もサイドヴォーカル程度に歌を入れる。奈緒ちゃんがピアノに移り、俺も奈緒ちゃんのレスポールを手にして、"Everyday is a Winding Road"をやる。圭司君のドラムの安定感は最高だった。演奏が無事に終わり、俺はバーボンを飲みながら、他のバンドの演奏を楽しむ。バンド結成してから、ライブまで3ヶ月程。この奈緒ちゃん、圭司君とのバンドはこのライブの為だけに結成されたものだから、初ライブにして解散ライブだ。それが勿体なかった。俺はもっとやりたかったけど、2人にしたら、下手なおっちゃんと付き合うのはしんどかっただろう。

場所が神奈川なので、東京とは言え千葉近辺に住んでいる俺からすると、最後までライブを見てはいられない。電車の時間の関係で途中で奈緒ちゃんと圭司君に「帰るね」と告げる。

奈緒ちゃんが奥から何か持ってきた。見るとジンビーム(バーボン)のボトルだった。当時俺はジンビームのボトルを2日で1本空けるペースで飲んでいた。

「これ、ギャラです」と奈緒ちゃんがほほ笑んでくれた。俺の人生でバンドでギャラを貰った事は後にも先にもない。今後もないだろう。ギャラが取れるような腕前じゃないからね、俺は。だからこれは、最初で最後のミュージシャンとしての俺のギャラだ。でも、最高じゃないか、ライブのギャラがバーボンのボトル1本だなんて。

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その後、奈緒ちゃんと圭司君は残念ながら別れてしまい、奈緒ちゃんは別の男性と結婚した。俺が知っているのはそこまでだ。ただ、2人がそれぞれ幸せであれば良いなと思う。

長い人生のほんの一時交わっただけの2人だが、彼らが俺にくれたものは計り知れない。俺がバンドメンバーを仲間だと思い、家族のように大事にしたいと常々思うのは、奈緒ちゃんと圭司君が俺にそうしてくれたから、なのかもしれない。